アイトラッキングでフェチ診断

アイトラッキング(Eye Tracking)というシステムを弊社(のグループ会社)が購入しました。僕の年収よりも高いと言うか、高級車買えるじゃん、くらいのお値段だそうで。

これはモニター上を人間の視線がどのように動いているかを計る機械です。
ごっついメガネをかける必要も無く、モニターから60cm程度の距離を保ったままサイトを見ていればOK。モニター上のカメラが、目と顔の動きを追尾します。

本来は、Webサイトをどのように視線が動いていくのかをトレースして、ちゃんとユーザーの導線が確保されているか、サイトのどこにつまづいているのか、などを分析するために使います。ユーザーの使い勝手を可視化し、Webサイトのユーザビリティを向上させるのです。

たしかにサイトのチェックや問題点の洗い出しに使うのですが、圧倒的な破壊力を持つ活用法として個人的に強く推したいのが、フェチ診断。というわけで、被験者A(本人の名誉のため名前は伏せます)が見守るモニターに、ドドーンとグラビア界の黒船、リア・ディゾンが表示されました。

すると、せわしく動く眼球運動、隠せないフェチ心理、見るまい見るまいと意識すればするほど、視線がチラチラと動きます。どこのポイントにどれくらい視線が止まっていたのかバレバレです。視線は言葉よりも雄弁に語りかけます。なるほど、おっぱい星人というよりもおしり星人ですね、あなたは!

隠れた性癖をも白日の下に曝け出してしまうアイトラッキング。おそるべし。

青春時代、ハイドライド1・2・3

10代のほとんどの時期をゲームとともに過ごしていたよーに思いますが、昔からのゲーム事情を振り返って思うのは、「ユーザビリティが向上したなぁ」ってこと。

もちろん、ハードウェアスペックや表現技術も信じられないくらいレベルアップしているんだけど、それ以上に、ゲームの文法が確立されているな、ということをしみじみ思う。現在出回っているゲームを手にとってみてほしい。やったことがないゲームであっても、「何をしたらいいか分からない」なーんて状況にはならないはずだ。とりあえずは、遊べるはず。それだけ、ゲームシステムが洗練され、また、ユーザーの認識下にゲームの遊び方が刷り込まれたのだろう。

むかしのゲームのなかには、ユーザーに優しくないゲームが結構存在したもん。ひどかったもん。
「何が目的なのか、そしてどこへたどり着けばいいのか、その全てをあなた自身で見つけてください」ってマニュアルに書かれてたりしたんだから。え、、あ、、そ、そうなんですか、全て見つけるんですか、が、がんばります、、って、オールドゲーマーは耐えたのですよ。

それでも、玉石混交のゲームの中で、エポックメイキングたるゲームもちゃーんと存在していたわけで、アクションRPGというジャンルを確立したソフトの代表格ってことで、ご紹介するのは、「ハイドライド1・2・3」(T&ESOFT)

今回は、ハイドライドシリーズの歩みとゲーム業界の動きとからめて、お茶の間の皆さんをくすぐっていこうかなと、かように思う次第。しばし、お付き合いのほどを。
ハイドライド1(1984)

「ドラゴンスレイヤー」(日本ファルコム、1983)を皮きりに、続々とアクション風味を取り入れたRPGがリリースされる。「ドルアーガの塔」(ナムコ)がリリースされたのも、この年。だが、RPGと名乗っているものの、ストーリー性は低く、理不尽な謎解きを強いられたり、状況説明もまるで無いようなゲームが多かった。

「ドルアーガの塔」の影響を色濃く受けた(と思われる)「ハイドライド1」でも、一切の会話シーンもなく、そもそも登場人物は主人公だけ、他は全てモンスターといったシチュエーションだった。今だったら、クソゲーの烙印を押されますな。

また、アクション性にしても、肝心の戦闘というのは、フィールド上をウロウロしているモンスターにぶつかっていくというシンプルなもので、そこには、真正面からぶつかれば、大メージを受けてしまうので、背後に攻撃する姑息な主人公の姿があった。
とはいえ、背後からぶつかろうとした刹那、モンスターが急に振り返ったりと、シンプルな割りに案外ドキドキするゲームシステムでもありました。
ハイドライド2(1985)

この頃になると、新機軸を打ち出したRPGゲームが続々とリリースされていく。
ハイドライドとアクションRPGの双璧と称えられた「ザナドゥ」(日本ファルコム)もこの年リリース。

ストーリー性も重視されるようになり、ハイドライド2では、フィールド中に町があり、人と会話することで情報を得たりできるようになった(いや、今では当たり前のことなんだけど)。昔はRPGとAVGの境がパカッと別れていて、人々に話を聞いて物語を進めるという作業は、AVGの領域だったんですよ。

ちなみに、堀井雄二氏は、「RPGは、物語性を重要視し、本来の意味での、ロールプレイ(役割を演じる)ゲームの道を歩むべきだろう。(ログイン1986年11月号)」と語っている。この時点ですでに氏の中では、RPGというものに対する認識が、確立していることが伺える。

また、この時代の続編のウリというのは、面白さ云々よりも、前作よりもボリュームアップしていることを前面に押し出していました。
「マップの大きさは、前作の×倍!」「敵キャラの数は、前作の×倍!」「使える魔法の数が、なんと×種類!」そーいう煽り文句だけで、とてつもなく期待したものです。ゲーム性の本質とずれた部分がクローズアップされていたのですな。
ハイドライド3(1987)

RPGもすっかりゲームの1ジャンルとしてすっかり認知された感がある。ファミコンでもドラクエIIがリリースされ、PCゲームでも、「イース」「ザナドゥ・シナリオ2」などなど、発売された。

変わったところでは、「デジタルデビル物語・女神転生」が発売されたのもこの年。
もちろん、現在の「女神転生」シリーズのルーツとも言うべきソフトなんだけど、ゲームシステムは全く違う。

「ハイドライド3」も、ゲームステムが複雑化し、昼と夜があったり(夜だとモンスターが強い)、空腹度や武器・防具の重量などもパラメーターとしてあった。だけど敵との戦闘が、敵にぶつかっていくだけってプレイスタイルにおいて(魔法とか飛び道具も使えるんだけど)、各種パラメーターを複雑化することの意味がないような気もする。ハイドライドが3作目で、終焉したのは、そーいう整合性をつけられなかったからでは?!と思うのだが。

片や、「イース」はパラメーターも単純明快で、戦闘は敵にぶつかるだけ、とアクションRPGの原点回帰をしつつも、ストーリー性や音楽・グラフィックなどの演出面はハイクオリティな仕上がりとなっている。この方向性が功を奏したのか、イースはこの後も、シリーズ化されていく。

笑拳は吹き替え版を見るべし

ジャッキーの映画をテレビでやってるとほぼ見入ってしまう。「~モンキー」シリーズならほぼ100%見る。あーこれ見たことあるからいいや、なんてことにはまずならない。

「カンニングモンキー天中拳」「クレイジーモンキー笑拳」「スネーキーモンキー蛇拳」「ドランクモンキー酔拳」がその「~モンキー」シリーズだが、皆さんもどれかひとつくらいは目にしたことがあるのではないだろうか。

これらの話は、ヘボヘボ主人公が苦しい修行を経て最後には悪漢を倒す、というフォーマットを踏襲している。要約が1行で済んじゃうほど、簡単明瞭なストーリー展開だ。前出の「木人拳」はもう少し人間ドラマが織り込まれているが、基本的なプロットは同じである。

これらの作品のキモは、辛い修行を経て悪漢を倒したときのカタルシスではないだろうか。笑拳の場合は、

成龍は祖父と隠遁生活を送っている。カンフーの達人である祖父は、常に命を狙われているのだ。だが、そんな事情を知らぬ成龍は、町道場で祖父直伝のカンフーを披露し、それが元で追手に祖父の居場所を知られてしまう。意気揚々と帰宅する成龍を待っていたのは、追手に襲われていた祖父の姿だった。病に冒されていた祖父に反撃する力はない。勇んで助けに入ろうとする成龍。だが、謎の老人に羽交い締めにされ、助けに入ることが出来ない。成龍はなす術なく目の前で祖父は殺される。

老人に怒りをぶつけると、老人は言う「私はお前の祖父と兄弟弟子だった男だ。おまえが出ていっても返り討ちに遭っただろう。だから私の修行で力を付け、仇を討つのだ」
成龍は老人(名前を八本足という)の元で厳しい修行に望む。成長した成龍に八本足は彼ら流派に伝わる秘伝を伝授する。喜怒哀楽の感情をコントロールすることで、己の潜在能力を引き出し、また相手の戦闘意欲を奪ってしまう奥義だった。

修行に励む彼らにも追手の手が伸びてきた。3人の使い手を撃退した成龍の前に、大将格の使い手が現われる。ヤツこそが成龍の祖父を殺した男だった。怒りに身を任せて襲いかかる成龍。だが、直前の闘いの疲れもあり、男に歯が立たない。一時距離を置く成龍の脳裏に、八本足の言葉がよぎる。感情をコントロールするのだ、と。呼吸を整え、力をみなぎらせていく成龍。

第2ラウンドが始まる。(ここら辺からBGMで笑拳のテーマが流れ出す)喜哀楽の型で男を翻弄する成龍。攻撃にされる度に「泣き」「笑い」「喜ぶ」成龍の姿に男はペースを乱され、次第に劣勢に追い込まれていく。 疲れ果てた男に成龍は「怒」の型でトドメを刺すのだった。終劇

しまった。カタルシスを感じる箇所を書き出そうとしたら、粗筋を丸々書いてしまった。これでは浜村淳の映画レビューと同じじゃないか。まぁいいや。

こないだ、スカパーのあるチャンネルで笑拳をやってたので、喜び勇んで見たら、これが字幕スーパー版。「笑拳」の字幕スーパー版なんて初めて見たけど、これがいただけない。前出の粗筋で書いたBGMが流れないのである。
劣勢を挽回していくプロセスにおいてこのBGMが流れないのはイタイ。なんとなく勝っちゃった、って感じがするのだ。

というわけで見るんだったら、おなじみ石丸博也の吹き替え版をオススメします。

翼よ、あれがタイムパラドックスの光だ。ゴジラvsキングギドラ

ヘンな映画を見ると、逆にワクワクする。B級嗜好が日々加速しているよーな気がしてならないが、今回ご紹介の「ゴジラvsキングギドラ(1991年)」(以下ゴジギド)」も最初の数分だけ、でビビビッ!とB級センサーが反応した。見終わった後は、センサーの針が振り切れるくらいのB級ぶりだった。サイテーでサイコーである。

何が「ゴジギド」を最強のB級映画にたらしめているか?
それは、ひとえに「タイムトラベル(時間旅行)」モノであったという一点に尽きる。詳細は置いといて、まずは、冒頭のあらすじ。

現在の日本に、23世紀から未来人がタイムマシンに乗ってやってくる。
彼らは、23世紀でゴジラが大暴れして大変なことになっているので、ゴジラをこの世から葬ることにしたと告げる。

ゴジラは、第二次世界大戦中にラゴス島に生存していたゴジラザウルスが、終戦後近海での水爆実験により、巨大化しゴジラとなったという。だから未来人は、ゴジラを誕生させないために、戦時中のラゴス島に行き、ゴジラ化する前に、ベーリング海に移動させようというのだ。

折りも折り、現代日本にゴジラが接近していることが判明し、その被害を憂慮した日本政府は、未来人の申し出を受けることにする。
そして、未来人と戦時中のラゴス島関係者など現代人3名は、戦時中のラゴス島にタイムトラベルし、ゴジラザウルスをベーリング海に転送する。

無事ゴジラザウルスを転送できた一行は、ホッとした面持ちで現代に帰還する。がしかし、新たな事実が彼らを待っていた。「ゴジラ反応は消えたけど、代わりにキングギドラが現れた!!!」

とりあえず序盤の20分くらいのあらすじ終わり。

まず未来人が、チャックウイルソンってところで、B級センサーがビンビン反応する。大森監督は、よりによって未来人にチャックウイルソンをキャスティングしたんだろうか?プロデューサーの強い意向なのか?謎だ。しかも片言の日本語を話させている。もちろん演技なんかなっちゃいない。

もしも翻訳機が進歩したのであれば、チャックに英語を話させて、日本語をかぶせればいいし、もし日本語が世界共通語となっている、もしくは未来人は多言語を話すことが出来るというのであれば、ピーターバラカンあたりの日本語の流暢な人を充てればいい(ピーターバラカンが出演するとは思わないけど)。

観客はチャックで先制パンチを受け、そこでまず全ての思考能力を奪い去られる。
この映画は考えてみちゃダメなんだなぁと再認識するのである。そしてタイムトラベルとなると、さらにB級暴走は加速していく。もう止まんない。

あらすじにも書いた通り、ゴジラザウルスをベーリング海に転送しひと安心かと思いきや、現代に戻ってくると、日本は新たな脅威に晒されている。
「ゴジラ反応は消えたのだが、今度はキングギドラが現れた!!」ってそーいうことを言うのだ。本当に!!

すっげー!タイムパラドックス!!
奥さん奥さん、これがタイムパラドックスってやつですわよ。

僕は、ここまでタイムパラドックスについて無頓着な映画を知らないし、多分これ以上に無頓着な映画は出てこないと思う。映画バックトゥザフューチャーや漫画ドラゴンボールでタイムトラベルは扱っているんだけど、深く突っ込めばアラが出て来るとはいえ、説明をしようとする意思は感じた。頑張って辻褄を合わせようとしていた。この意思が、大切。たとえ科学的・論理的に間違っていてもハッタリを貫き通すことにSFの面白さがある。

「ゴジギド」にはそーいう意思は全く感じられない。ゴジラは娯楽映画だから細かいこといいじゃーん、って人もいるんだろうけど、その大味な部分がゴジラ映画をつまんなくしてるのだ。って、いかんいかん、そーいうB級テイストを楽しもうというコーナーだった。

どこら辺がタイムパラドックスなのよ、そもそもタイムパラドックスってなにさ。
っていぶかしげな人のためにちょいと説明。タイムパラドックスっていうのは、タイムトラベルで過去に行った場合、色々と矛盾点が出てくることを指す。

たとえば、過去に行って自分の祖先を殺しちゃった場合、どーなるか?
祖先がいなくなるから、現在の自分もいなくなる。現在の自分がいなくなるってことは、過去に行って祖先を殺しちゃう人間がいなくなる。ってことは現代の自分は存在してて、んで過去に行って祖先を殺しちゃって、、、、、ってな感じで堂堂巡りで、頭がこんがらがっちゃうじゃない。それがタイムパラドックス。

ゴジラの場合も同じ。過去に行って、ゴジラの誕生を阻止したとすれば、未来においてもゴジラはいないわけで、そーすると、未来がゴジラによって脅かされることもなくなり、ってことは未来人が現代に来ることもないわけで、そもそもゴジラが現れないということになると、ゴジラに殺される予定の人達も、健在になっちゃうわけで、未来図にも多大な影響が出てきちゃうし・・・Theタイムパラドックス。

とにかく未来においてゴジラが出てきたから、過去に行ってゴジラの誕生を阻止しましょ♪そーしましょ♪
なーんて簡単な問題じゃないのだ。ほいほい手を出しちゃいかんのよ。

それをやっちまったのだ、大森監督は(脚本も大森一樹)
7万歩くらい譲っても、戦時中から現代に帰還した未来人&現代人一行に向かって、「ゴジラ反応は消えたのだが、、、」というシーンはあまりにも酷すぎる。だ・か・ら~、過去の時点でゴジラがいなくなったってことは、ゴジラ反応が消えたとか何とか言っちゃう前に、現代においてゴジラは初めから存在しないんだってば。

んで、ゴジラザウルスをベーリング海に転送した際に、未来人はグレムリンに出てくるギズモのような小動物3匹をこそっとラゴス島に放つ。それが、水爆実験の影響で、3首竜のキングギドラになっちゃった、って設定なのだ。深く考えちゃダメだ。深く考えちゃダメだ、、、と言いきかせても、自分の心にウソはつけない。なんじゃそりゃ!

水爆はなんでもありか!!ありなのか!!
ゴジラザウルスが、水爆実験の影響で巨大化してゴジラになったのを、200万歩譲ったとしても(譲んなよって心の声が聴こえる)、3匹の小動物が水爆実験で、巨大化のみならず「合体」した、、、って一体どーいう生物なんだ。
そんな水爆あるなら、オレとキムタクをラゴス島に送りやがれってなもんだ。合体しちゃるわい。巨大化しちゃるわい。

とにかくもう前半の20分だけでこれだけツッコミポイントがあるのだ。
1時間半の中では、もう想像もしたくないほど、ツッコめる。こーいう映画が商業ベースで上映されたことを神に感謝したい。っていうか、一緒に神に感謝しようよ、ね、大森監督。

ネットとのファーストコンタクト

ネットと出会って10年近く経った。
人生を変えるほどの衝撃を受けたことを今でも覚えている。実際、人生変わったしね。

最初の出会いは、あるフリーソフトだった。1995、6年あたりの大抵のコンピューター雑誌にはCD-ROMが付録として付いていたが、そこに収録されているソフトウェア群の中に、PlayStation内の動画を吸い出してPC上で再生できるソフトがあった。

早速インストールしてみたが、僕のPCではうまく動かない。おそらく次号には、バージョンアップされたそのソフトが掲載されるだろうが、僕は待てなかった。そのソフトを一刻も早く使いたかったのである。

ソフトの紹介記事を読むと、そのサイトの配布先URLが明記されている。ここにアクセスすると、バージョンアップされたソフトがアップされているかもしれない。

そこで、インターネットとやらに接続しようと決意した。しかしいきなりプロバイダー契約をするのは怖いので、ダイヤルQ2回線を使ってネットに接続できるインターQを使うことにした。ところがアクセス先は一番近いところでも福岡しかない。当方、長崎。

そんなに長時間使わなければ大丈夫だろう、とそれを使ってアクセスすると、幸運なことにバージョンアップされたソフトをアップされており、ようやく使うことができた。振り返ってみればなんてことはない事件だけど、目の前にネットという大海が横たわっていて、情報の入れ食い状態になっていることを実感した次第である。

それから毎日ネットに接続することになったが、福岡へのダイヤルQ2はQ2料金に加えて福岡への電話料金が別途加わることを知るのは翌々月のことである。(たしか、4万くらい)

ネットへのファーストコンタクトは、そんな甘酸っぱい想い出に包まれている。

実測気温主義でお願いします

今年は近年稀に見ぬ猛暑の年です。ほんと暑過ぎ。このままいったら、12月には50度を超えるんじゃないのかなぁ、なんてベタな漫才トークを繰り広げてみました。

最高気温35度だの、40度だの言ってますが、あれってどこまで信じていいんですか?
アスファルトの照り返しなんて、半端ないですよ。

弊社ドラゴンフィールド事務所の窓からは、大手町にある気象庁が見下ろせます。気象庁のビルからちょいと離れたところに、ひろーい芝生があって、その真ん中に百葉箱が置かれています。

テレビのお天気情報で、「東京・大手町 ××度」って出るときはその百葉箱のデータが元になっているんですが、高いビルに囲まれているので、午後からは日陰になってたりして、そんな涼しげな環境の百葉箱で測られている気温って、全然現実的じゃないよなぁ、と常々思っています。

ビル群のド真ん中の焼けたアスファルトの上に置いてこそ本当の気温と言えるんじゃないのか。
本当の気温が知りたい!

「ビリーズブートキャンプ エリート」を始めました

「ビリーズブートキャンプ エリート」を始めました。2週間目です。
テレビ通販で売っているやつではなくて、現在米国で売られている最新バージョンの輸入版です。輸入版なので、吹き替え&字幕無し。ビリー隊長が何を言っているか、全く分かりません。画面の中でエクササイズに見様見真似で付いていくだけです。

ビリーズブートキャンプの秀逸な点は、ビリー隊長だけではなく、10人くらいの人達も一緒にエクササイズする点にあるのではないかと思っています。

ビリー隊長はプロなので、40分程度のエクササイズの間、最初から最初までビシッ!とした動きなのですが(含、娘のシェリーさん)、
その他の人の中には、途中から明らかにバテてきている人もいて、逆にそれが刺激になります。

「ディラン(仮名)には負けねー」とか「キャサリン(仮名)」も頑張っているからもうちょっと頑張ろう」と、画面の中の誰かを仮想ライバルにすると頑張れます。

最初からビリー隊長のやるようにやろうとしても、ハードルが高過ぎて心が折れますので、この仮想ライバル作戦は有効だと思います。んで自分のレベルアップに合わせて仮想ライバルを変えていけばいいんじゃないでしょうかね。

#輸入版のせいなのかどうか分からないのですが、3枚のDVDの内、1枚が自宅のHDDレコーダーで見れませんでした。x-box360では再生できたので、大した問題ではなかったのですが、そーいうこともありますのでご注意あれ。

TBS椎野アナが姑息な理由

上のYouTubeの動画(削除されているかもしれません)は、TBSの椎野アナウンサーによる横浜vsオリックス戦実況の一コマである。

5対0でリードしている中、2番手ピッチャーとして登板した高宮選手がさんざんに打ち込まれてしまい、その様について椎野アナがおよそ公共放送の実況とは思えないほど罵倒する。

たしかに不甲斐ない投球内容だったが、その罵倒ぶりにマスコミの体質がよく表れているように思う。その椎野アナ発言の一部を抜き出してみる。

・そろそろ二塁を守る仁志も内心キレてくる頃です。
・もう高宮何やってるんだ、という感じでおそらく斉藤ピッチングコーチからはきつい罵声のような説教が展開されるものと思われます
大屋監督ももう煮えくり返るような思いで表情を抑えているものと思われます
・ベテランの種田あたりは、呆れてモノも言えないような感じでしょう

選手や監督の名前が出てきているが、椎野アナが実際に話しているのを聞いている訳ではない。それなのに、勝手にキレているだの、呆れているだの、あたかも真実のように語られるのである。これら一連の発言は、「他人の口を借りて、口汚く罵る行為」ということになるだろう。

グラウンドで汗を流す選手達は決して、一アナウンサーの私怨を晴らす為に存在しているわけではない。みのもんたが、珍プレー好プレーで選手に声を当てるが、それはあくまでもバラエティ番組だから通用する手法であり、スポーツ実況としてこの姿勢はいかがなものだろうか。 もっとも「(ゲームに水を差した)水差し野郎」「荷物をまとめて横須賀(2軍の本拠地)に行け」と罵倒しているが、なぜ自分の口で罵倒することを徹底せず、他人の口を借りて文句を言うのか。なぜそんな行為が許されるのか、僕の目には姑息にしか映らないのである。