日本水泳関係者は、「たった一人のオリンピック」を読むべき

 英スピード社製の水着レーザーレーサーを着た水泳選手による記録ラッシュが続いた。これは米国においても同じような状況で、これほど水着に注目が集まったことは無いだろう。

 泳ぐのは僕だ、という北島選手の矜持もよく分かる。まるで選手の力ではなく、100%水着の力で結果が残せた、と言わんばかりの世論に対して、青島刑事よろしく「水着が泳いでいるんじゃない、選手が泳いでいるんだ!」と声を大にして叫びたいだろう。

 一方、ごく普通の大学生でありながら、「道具」を有効活用し、オリンピック出場権を勝ち取った選手もいる。それが山際淳司の「スローカーブを、もう一球」 (角川文庫)に収録されている「たった一人のオリンピック」の主人公「津田真男」である。もちろん実話だ。

 津田青年は、23才のとき、唐突にオリンピックに出場しようと思い立つ。しかしオリンピックに出ると言っても一朝一夕で出れるような種目は、当たり前のことだが、皆無に近い。団体競技や選手層が厚い種目では、遅れてきたルーキーに1%の勝機も無い。そこで彼が選んだ種目は「ボート」のシングルスカルだった。

 いくら選手層が薄い種目といっても、いくつかのハードルが待ち受けていた。
 まずは道具。レース用のボートを作っているメーカーは日本に一社しかいない(昭和50年代の話なので今とは事情が違うのかもしれない)。そこにボートを発注するのだが、なかなか作ってくれない。「一度もボートに乗ったことのないド素人のボートが作れるか」という理由だ。

 そして練習。津田青年の唯一の師は、「図解ローリング」という一冊の本。しかし彼は日本のボート界に積極的に教えを乞うことはしない。日本のボート界は伝統重視で、技術的には何の進歩もしていない、と判断したからだ。

 日本のボート界が閉鎖社会であることが伺えるが、だからこそ津田青年に勝機があったとも言える。

 ようやく出来上がった自分のボートが、何十年前に作られたボートと寸分違わぬことに衝撃を受けた彼は、ボートの改造に着手する。ボートの軽量化を計るため、機能性・耐久性を損なわない程度に、フレームやボディに穴を開けていく。オールの握りの部分も自分用に改良を加えた。 

 ボートは競技人口は少ないながらも歴史がある競技である。その歴史の中で、先輩から後輩に盲目的に受け継がれてきた漕ぎ方、というのも存在したが、津田青年はそんな伝統に縛られることなく、海外のボート選手のテクニックを積極的に取り入れる。
 
 そして国体や日本選手権を含む、国内大会18連勝、という記録を打ち立てるのである。モスクワオリンピック代表に選ばれるものの、日本はモスクワオリンピックを辞退したために、オリンピック出場という夢は叶わなかった。

 ボートに手を加える、という行為がボート関係者に与えた影響は少なくない、と思う。ボートを改造するなんてあいつはズルイ、卑怯だ、あいつの漕ぎ方は邪道だ、などと非難されたかもしれない。生え抜きのボート関係者であればあるほど、津田氏の存在は苦々しく映っただろう。しかし、津田氏は、何が何でもオリンピックに出るんだと言う強い意思、そしてたゆまぬ努力で、たったひとりの力で代表権を獲得した。

 翻って、現在の水泳関係者、特にスポーツメーカーに、津田氏のような何が何でも勝つ、という意思を感じることができない。もちろん研究開発は怠っていたとは思わないが、横並び意識が働いてはいなかっただろうか。予定調和的なぬるま湯の開発競争しかしていないのではないか。

水着新素材提供の山本化学工業が悲鳴 (nikkansports.com)

山本化学工業は好記録連発の英スピード社製より水の抵抗が少ないという新素材を開発して、日本水連から改善を要求された国内メーカー3社に提供、うち2社が5月30日に採用を発表した。だが、採用後に2社へ協力を申し出ると、デサント社は「情報を開示する約束はしていない」と断り、アシックス社は無回答だったという。

 この後、山本化学工業のバイオラバーを「一部」使った試作品は急遽作られたが、全体的に使った水着のサンプルはアシックスもデザントも作っていないはずだ。結局、バイオラバーの真価の程は発揮できないまま終わってしまった。

 努力が評価されるのは勝利者だけだ。
 本当に良いものを作りたい、選手の勝利に貢献したい、というならば、自社の今までの研究を反故にしてまでもあがくべきではないのか。それができないスポーツメーカーは一体何のために存在しているのだろうか。

  1. コメントはまだありません。

  1. トラックバックはまだありません。