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「キサラギ」を見た - 秀作でした

 スカパーの東映チャンネルで「キサラギ」を見た。

映画「キサラギ」オフィシャルサイト
 
 ストーリーはこんな感じ。(Wikipediaから引用)

D級アイドル如月ミキのファン5人が、如月ミキの一周忌に集まった。
如月ミキは、一年前にマネージャーの留守番電話にメッセージを残し、自宅マンションに油を撒いて火をつけ、焼身自殺していた。彼女を悼むのが会合の趣旨だったが、彼女は自殺ではなく、殺されたと疑念が広がり、話の流れは一変する。
次々と明らかになる五人の男達の意外な正体や、明らかになる事実の中で、彼らが辿りつく如月の真実とは?

 映画は、登場人物5人の室内劇、カメラの位置は変わるものの最初から最後まで1部屋のみで物語は進む。

 それだけの要素で作品の上映時間「1時間48分」が持つのだろうか?たとえ5人の過去や、意外な事実が出てきたとしても、1時間48分は長過ぎはしないだろうか?
 そんな斜に構えた気持ちで見たのだが、全くの杞憂だった。1時間48分をアッという間に駆け抜けた。キサラギは秀作でした。

 同様のカテゴリーの映画として三谷幸喜の「12人の優しい日本人」がある。こちらは12人の陪審員が裁判情報を元にあーだこーだと推理を進め、事件の真相に迫っていくという内容。

 2作品の方向性は同じなんだけど、事件の真相に至るプロセスは異なる。「12人の~」が迷路の中を行きつ戻りつして事件の真相というゴールを目指していくのに対し、「キサラギ」はピースをはめ込んでジグソーパズルを完成させるといった具合。

 「12人の~」が陪審員の勘違いや思い込みで推理が脱線していくのに対し、「キサラギ」はそういった脱線は無い。一見、無意味とも思える情報や伏線がキレイに回収されながら、真相に辿り着く。

 中盤までに出揃った事実だけで真相に繋がっていくのだが、ただ事実を並べて真相に辿り着くわけではなく、度々矛盾が生じて頓挫してしまう。その都度、冒頭の何気ない会話や小道具が息を吹き返し、ピタッ!とストーリーに納まってくるのである。

 もっと秀逸なのは、Aだと思われていた事実が、Bという証言によって、Cという事実に変化してしまうというストーリーの妙だ。たとえば、男二人が殴り合っている、と言えば「ケンカ」だと思うが、「リングの上で」という情報が加わることで、ケンカが「ボクシング」に変わる。事実は変わらないのに、見え方を変えたり、情報が付帯するだけで、捉え方が全然変わってくるのである。キサラギではそういうトラップが2重3重と張り巡らされている。あーそういうことだったのかぁ、とスッキリしていくのだ。

 詳しく説明したいのは山々だが、ネタバレになるので触れない。DVDもレンタルされているのでぜひ見て確認して欲しい。唯一言えることは無駄なピースは何も無いということ。だから最初から気を抜かずに観ることをオススメします。

 #エンドロールで流れる5人の一体芸は色んな意味ですごいな。そして流れるPV。たしかに、遅れてきた清純派、だ。

[レビュー]映画「魁!!男塾」

(映画「魁!!男塾」のレビュー記事ですが、ネタバレを含んでいますので、ご注意ください) 

 どれくらい魁!!男塾のファンかと問われれば、暇があれば男塾の単行本を読み返す日々が続き、これではいかん!時間の浪費だということで、断腸の思いで全巻を古本屋に売り払ったものの、ほんの数週間で男塾禁断症状を発症し、文庫本版をあらためて買い直した、というくらい(実話)、男塾が好きだ。

 マイベストバウトは、赤石剛次 vs 宋江(梁山泊)です。(血染めのシャツのエピソード、血栓貫&「この男にとって、相打ちなどは敗北であって、勝利ではない」という邪鬼の言葉も含めて、イカしています)

 若かりし頃、長崎県立図書館に、民明書房から出ているはずの「蛇轍槍」(じゃてっそう、伊達臣人の武器)の文献を探しに行ったのも良い想い出。(暁!!男塾は6巻まで買ったものの売り払いました。真面目と不真面目のバランスが崩れて、笑えないギャグ漫画に堕してしまった)

 というほど、男塾ファンなのでありまして、もちろん映画化された「魁!!男塾」もちゃんと見てまいりました。

 結論から言うと、悪くなかったですよ。ええ。しっかりと原作へのリスペクトを感じましたし、キャスティングもほぼ満点だったと思います。虎丸・赤石がちょっと華奢だったかなぁ、とは思いますが許容範囲。剣桃太郎役の坂口 拓、富樫源次役の照英をはじめとする主役陣はもちろん、田沢 慎一郎役のタケタリーノ山口(瞬間メタル)、松尾 鯛雄役の与座 嘉秋(ホームチーム)もハマってましたね。富樫をたぶらかす役で、山崎さん(マジレンジャー)が出ていたのも個人的にポイント高し。

  じゃあ手放しで勧められるかというと、ちょっと微妙。超映画批評のレビューを引用すると、

初監督と脚本も兼任する坂口拓は、マジ当て格闘スタントで知られるアクション俳優。かねてより、男塾の大ファンだという。その熱意は、演じる主人公・剣桃太郎の徹底した役作りや本気のアクションから伝わってくる。フィルムの早回しかとおもうほど回転が早いパンチの連打や、顔にきっちりあてるハイキックその他、やってる事はたしかに凄い。

ただ、男塾の実写化を作るには、彼は生真面目すぎる。リアルアクションにこだわるそのプロ意識は、スタントマンとしては最高のものだが、この素材を調理するのに必要なのはもっと肩の力を抜いた"ユーモア"なのだ。

『魁!!男塾』は、決して"戦いがカッコイイ!" から人気があるのではなく、どうみてもありえない行動その他を、異様に濃い絵柄とセリフで押し通してしまう、ちょっとイタ寒い世界観こそが愛されているのだ。ここを再現しきれていない以上、高得点はあげられない。

 僕も同感です。
 男塾の実写化に期待するのは、ジャッキーチェンのような演者の痛みが伝わるようなアクションではなくて、カンフーハッスル(少林サッカーでも可)のような有り得ないくらいの荒唐無稽なアクションなのです。人が何mも吹っ飛んだり、有り得ない体術の数々、そーいうのを見たかったのです。

 伊達vs桃戦では、伊達が三節棍にしか見えない蛇轍槍を振り回して桃にドーン!って、ちがーう、蛇轍槍は蛇のように複雑にクネクネ動いて相手に襲いかからないと!
 蛇轍槍の矛先が悲しくなるくらい作り物感全開だったのもちょっとねぇ。

 そもそも最後には、伊達・桃ともに武器を捨てて、素手で殴り合うって。たしかに痛みが伝わってくるほどのアクションなのは分かるんですが、男塾に痛みを感じさせるようなシーンは必要なのかどうかってのは疑問です。もっとも予算が十分あれば、CGやワイヤーアクション全開で男塾ワールドを実現できるのでしょうか。そういった意味で次回作に期待したいところ。ぜひ、爽快アクションを見せて欲しいと思います。

#尺の都合からか、原作の「驚邏大四凶殺」ではなく、驚邏大三凶殺とバトルがいっこ減っていますが、そのカットされた「雷電vsJ」は「驚邏大四凶殺」の中でもちゃんとしたバトルだったんで、ちょっと残念です。 

[レビュー]ピューと吹く!ジャガー THE MOVIE(ネタバレ有りバージョン)

 前々から気になっていた、「ピューと吹く!ジャガー THE MOVIE」をやっと見てきた。ネタバレしてますので、まだ観ていない方は下のネタバレ無しバージョンをお読みください。

[レビュー]ピューと吹く!ジャガー THE MOVIE(ネタバレ無しバージョン)

 あらすじはこんな感じ。

 大学進学も就職も諦め、ギタリストとして成功を夢見る「酒留清彦」(演:大村 学)は、あるオーディション会場で笛を持った男に出会う。後日、言葉巧みに誘われた芸能人養成所ガリクソンプロで、笛の男「ジャガージュン市(演:要潤)」に再開する。
 そして、ジャガーが講師を勤めるふえ科に強引に入れさせられ、ヒップホップ忍者・ハマー(小木博明:おぎやはぎ)や、謎のアイドル志望の女の子・白川高菜(高橋真唯)とのふえ科生活が始まる。
 しかし、今までのふえ科が滞納してきた月謝など数千万を支払わないと、ふえ科を廃止するとガリクソンプロは通告してきた。困ったふえ科のメンバーは、美術館に展示されている珍笛を強奪しようと計画する。

 ネタバレ無しバージョンでも書きましたが、要潤がとにかくいい。「歯ぎしりと床ずれと私」(参考:第3巻収録の47笛)がリアルで見れると思いませんでした。ほぼアドリブ、ということらしいのですが、要潤は良い仕事をしました。

 たしかに冒頭のオーディション部分の「歯ぎしりと床ずれと私」で、会場中が大爆笑に包まれましたが、ここが映画のMAXです。「おお!要潤やるじゃん。この先どんなに面白くなるんだろう」と膨らんだ観客の期待に応えられぬまま、映画は徐々に盛り下がっていきます。

 原作ではストーリーがあってないようなものですが、映画では珍笛強奪計画のドタバタストーリーを映画の中心に据えてしまいました。 そしてそのシーンが長いんですよ。キム公(演:カルーセル麻紀)、グリとグラ(演:猿岩石・有吉とデンジャラス・安田)が映画の後半ちょくちょく出てきますが、ぶっちゃけいりません。だって原作にいないもの、そんな人達(キム公は映画とは全く異なる設定)。このお三方の演技はほんと良くて、有吉ってこういうキャラもできるのか、って感心したくらいですがやっぱり要らないですね。凄惨なリンチシーンとかほんと見たくなかった。

 この映画の一番気に入らなかったのが、余計なシーンの詰め込み。キム公、グリとグラのくだりはもちろん、ちょくちょく挿入される薩摩もこみち(演:酒井敏也)のシーンも全く要りません。あれ面白かった?

 つまり、「皇帝の長っ鼻」に関係するシーンをことごとくカットして、原作に沿ったショートストーリーをポンポンと繋げていくだけで十分だったのではないでしょうか。映画の半分くらいがそーいう"要らないキャラ"(しかもうすたテイストと全く乖離した)の出演で占められているために、肝心のメインキャラ達が中途半端な描き方になってしまいました。ハマーと高菜、ポギーの不完全燃焼っぷりには大抵の人がしょんぼ~りだったのではないでしょうか。

 ハマーはもっと人間としていかがなものか的なエピソードを入れられたはずで、それが無かったために、ラップ調で話すウザいヤツ止まりで終わってしまいました。小木って実は雰囲気がハマーってだけで、実はハマーらしくはなかったのではないかもしれないですね。ハマーは面白いことをやろうとしちゃいけないんですよ、作ってはいけない。素の行動が、「イラッ」とさせるようなキャラなんで、あくまでもクールに演じて欲しかったと思います。要潤を笑わせようとしている空気が見て取れてしまいました。

 高菜もひどかったですね。脚本・演出の問題だとは思うのですが、とにかくキャラが浅い。あれじゃタダの堪え性の無いキレやすい女じゃん。高菜の魅力は、根はすごく良い子なのに、追い込まれるとテンパってしまって、本人の意思とは裏腹にSキャラになってしまう二面性にあります。照れ隠しが別ベクトルに大きく振れてしまう、その振り幅がいいのですが、映画ではただキレているだけ。最後に歌を歌っていますが(高菜のキャラ的にあのセットでちゃんと歌えるわけがないんですが)、やるんだったら80年代のアイドルアイドルした振り付け・笑顔でやりきって欲しかったところです。

 ポギーも、あれ?ローリー寺西(すかんち)?って人が演じていましたが、それは置いといて。
 こちらもキャラの造詣がひどい。監督は、ポギーの壊れっぷりを表層的にしか捕らえていないのではないだろうか。肥やしの歌(田舎でジャスティス)なんて論外。ポギーはジャガーに出会って、パフォーマーとして開眼していくんですよ。その結果、自分をどのように表現したらいいのだろうか、ということを悩み抜いて、ヘンなメイクやコスチュームに走ってしまうわけです。表現者として壊れていくのであれば、ヘンな歌詞の歌を歌うなんて、甘っちょろい壊れ方はしないはず。普通に歌っているのに、下半身は網タイツだったとか、ロボポギーとか、そういう思い切りが欲しかったところ。

 影千代先輩もどう?
 板尾創路は全く問題無かったですね。普通に、影千代先輩でした。問題は演出・脚本。その前に、ハマーから影千代先輩のすごさは語られているわけです。そーいうイメージカットも入っているし。にもかかわらず、グリとグラにあっけなくやられてしまうのは一体どういうわけですか?前振りがなんも回収できていないじゃないですか。グリとグラの強さを表現したかった?そんな馬鹿な。
 最後の出陣シーン&警官の尋問もほんとグダグダ過ぎて、やっている演者さんが可哀想に見えました。

 

 ネタバレ無しバージョンでも書きましたが、うすた京介とマッコイ斎藤監督の笑いの質、というか、面白いと感じるツボが違っていたんだと思います。映画では、エロとグロに偏重し過ぎで、グリとグラの凄惨なリンチシーンもそうですが、おっぱいプリン(セクシーパフェ)も全く世界観にマッチしてなかったですね。むしろ邪魔。ダウンタウンのごっつええ感じに、バカ殿様が乱入したかのような違和感。

 キャラの持ち味を発揮することなく、ただのドタバタコメディに終始した一本と言えるでしょうね。

[レビュー]ピューと吹く!ジャガー THE MOVIE(ネタバレ無しバージョン)

 前々から気になっていた、「ピューと吹く!ジャガー THE MOVIE」をやっと見てきた。極力ネタバレしない方向で、感想を書いていきますが、すでに見たよ、とか、ネタバレでも構いやしない、って人は下のネタバレ有りバージョンを読んでください。

[レビュー]ピューと吹く!ジャガー THE MOVIE(ネタバレ有りバージョン)

 あらすじはこんな感じ。

 「大学進学も就職も諦め、ギタリストとして成功を夢見る「酒留清彦」(演:大村 学)は、あるオーディション会場で笛を持った男に出会う。後日、言葉巧みに誘われた芸能人養成所ガリクソンプロで、笛の男「ジャガージュン市(演:要潤)」に再開する。
 そして、ジャガーが講師を勤めるふえ科に強引に入れさせられ、ヒップホップ忍者・ハマー(小木博明:おぎやはぎ)や、謎のアイドル志望の女の子・白川高菜(高橋真唯)とのふえ科生活が始まる。
 しかし、今までのふえ科が滞納してきた月謝など数千万を支払わないと、ふえ科を廃止するとガリクソンプロは通告してきた。困ったふえ科のメンバーは、美術館に展示されている珍笛を強奪しようと計画する。」

 要潤がとにかくいい。
 オーディションの演奏シーンなんて、会場中が爆笑に包まれたほど。もちろん原作そのまんまかと言われると、そーではないんですが、要ジャガーはアリでしたね。意外だったのが、板尾創路の影千代先輩。原作と似ているわけでもないのに、なんであんなに影千代先輩なんだろ。あの髪型にそばかすつけただけなのに。

 ピヨ彦、高菜、ハマーはちょっと不完全燃焼だったかもしれないですね。メインキャラなのに、その設定を活かすエピソードが乏しかったので、なんかよく分からない「ヘンな人達」で終始してしまった感があります。

 猿岩石・有吉とデンジャラス・安田は、存在感ある演技で新しい一面を見れたのですが、残念ながらジャガーの世界観とは乖離し過ぎ。後半ちょっと引いちゃうくらいの凄惨なシーンもあってこれはいただけなかった。原作ではまずありえないエロとグロが出ることは、未見の人は覚悟しておいた方がいいですよ。

 たぶん、うすた京介とマッコイ斎藤監督の笑いの質、というか、面白いと感じるツボが違っていたんでしょうね。そして映画を観に来る人はうすたツボに共感している人達なので、そーいうファン層(僕も含めて)にとってはとても不満足な結果に終わってしまった、と。

 じゃあ、うすたツボを知らないで、何の先入観も無しに観に来た人(純粋に、要潤を観に来たような人)はとって満足できる映画かというとやはり厳しいのではないだろうか。出てくるキャラクターや設定は、一応原作に沿っているわけだし(キム公のような例外もいますが)、そのために説明を端折っている部分も多々あるので、予備知識が無いと話について来れないわけだし。

 この映画を心の中から楽しめる条件ってなんだろって考えたら、

・原作を知っている
・要潤が出ていればOK
・原作の世界観にはこだわらない

 こーいう人なら今すぐ観に行くべきです・新しい要潤と新しい「ピューと吹く!ジャガー」が観れます。

「ピューと吹く!ジャガー THE MOVIE」が盛り上がってきた

 まずはこの画像をご覧ください。 
 元記事の画像に(ページの一番下)は、「まさに要潤の新境地」という持ち上げているんだか下げているんだかよく分からないキャプションが付けられています。しかしその表現は間違っていない。というかほんとここまでやってくれたんだ、要潤。ほんとすごいよ。仮面ライダーアギトで、G3ユニットを装着してた頃から、この人はなにかをやってくれる人だと信じてた。

 小木のハマーは、規定路線といっていいほどの安パイですね。
 小木はその昔、リンカーンのトッキリ企画で、喫茶店で注文したアイスコーヒーではなくメロンソーダが誤って出てきたときに、”アイスを食べてから"、オーダーが間違っていることを告げ、あらためてアイスコーヒーをもってきてもらうという小悪人ぶりを発揮していたので、それが十二分に発揮されればハマーもやりきってくれるでしょう。楽しみです。
 ハマーの先輩・影千代を、板尾創路が演じているのもポイント高し。

 ちょっと怖いな、と思うのが白川高菜。
 一般人ながら、極度にテンパってくると、自分の思いとは裏腹なドSキャラになってしまうという相当エキセントリックなキャラなのですが、そのキレ具合が突き抜けているかどうか。ただのドSではなく、恥ずかしさを隠すためについついイキオイでドSになってしまうという役回りをどう演じられているのかがすごく心配です。
 もいっこ不安の種、キム公をカルーセル麻紀が演じるのか。んー、どうだろう、ヘンにドタバタテイストにしちゃうんじゃないかな。大丈夫かな。
 そんな心配をする方もどうかしていると思いますが。

 そもそもキム公が出るってことは、そふとくり〜むのエピソードですか。公式サイトのストーリーを見ると、そふとくり〜むの面々とのバトルがラストの山場ってことになるのかな。となると当然、しげみちも出てくるよね?

 個人的には、ポギーやハミィをフィーチャーして欲しかったところ。もしくは、ジョン太夫セガール。
 いやだめだな、キャラが強烈過ぎて、ジャガーさんが食われる。でももし第2弾があるのなら、ハミィ、ジョン太夫セガール、ポギーは当然出てくるよね?

 楽しみでありながら、誰が演じるのがベストだろう、と考えると夜も眠れない。Gacktがポギー役とかね。さすがにそれはないか。

 1月12日の公開開始から早速見に行くことにする。

2007年度 この映画は一体誰が観に行くんだ!?大賞

2007年度 この映画は一体誰が観に行くんだ!?大賞  (破壊屋)

 しょーもない映画が好きなのです。
 誰もこの企画を止めようと思わなかったのか?これ絶対出演者の黒歴史になるよなど見終わった後に、満足感以外の感情(しかもネガティブ)が湧いてくるような映画を好んで観ます。根っからの地雷好きなんですな。

 いかレスラー、のように明らかにB級路線を狙っているのはダメで、頑張ったのに悲しい結果に終わってしまったような、ホームラン狙いで思い切り三振してしまったようなそんな映画じゃないとダメです。怒りを通り越して、笑うしかないような映画ならベストです。ふざけんな!金返せ!と思う映画は結構ありますが、怒りメーターが振り切れるまでの大物にはそうそう出会えません。

 というわけで、2007年も色々な映画がありましたが、上記のページはツッコミ満載の映画ランキングです。まぁ妥当な結果と言えるのではないでしょうか。特に1位(同票で2作品)は納得の結果ではないかなと。
 といっても、デビルマン級の大物はいなさそうで、ちょっと残念だったりします。あったらあったで、はらわたが煮えくり返ることになるので、精神衛生上はこれでよかったのではないでしょうか。

 もっとも今年映画館に足を運んだのは「大日本人」だけという寂しい映画ライフを送っている僕に、あーだこーだ言う資格はあるのか無いのか。

突き抜けっぷりが気持ちいい、妖星ゴラス

1980年代の某日、地球に大隕石が接近していることが判明する。「妖星ゴラス」と名付けられたその隕石(黒色矮星)は、地球の引力の6,000倍をほこり、地球に接近すれば、致命的なダメージを与えることは間違いなかった。そこで、地球人類がとった手段とは、、、、

というわけで、今回取り上げるのは映画「妖星ゴラス(1962:東映)」です。地球に大隕石(or大彗星)が接近するというシチュエーションで、多くの映画が封切られてきましたが、その中でも異彩を放っているのが、この「妖星ゴラス」なんですよ。

隕石接近モノといえば、巨大隕石にハッパを仕掛けに行く「アルマゲドン」、巨大彗星にブラックホール化した木星をぶつける「さよならジュピター」、宇宙戦艦ヤマト2の「白色彗星」などがあります。

これらの作品と「妖星ゴラス」は、何が違うのか?
ほとんど(というか妖星ゴラス以外)の隕石接近モノは、隕石が地球に接近する前に、何とかしようと、人類が頑張るわけです。隕石を破壊するとか、軌道を変えるとか、そーいう努力をね。

「妖星ゴラス」は、違います。隕石には手を触れません。なんつっても、質量6,000倍ですからね、歯が立ちません。ということは、残った選択肢はひとつ。地球を動かしちゃいます。
わぁぁ、隕石だぁぁ、危ないから避けちゃえ、ヒョイってなもんです。
そんなアホな、、、と思われる人もいましょうが、それが現実です。ツライからといって目をそむけてはいけません。

「妖星ゴラス」が接近していることを知った人類は、南極に核融合ジェット推進装置を作り、地球を動かそうとする。限られた日数の中で、事故は起きる、怪獣は出てくる、しかも妖星ゴラスは日に日に質量を増大させていく、核融合ジェット推進装置は完成するのか?地球は、妖星ゴラスを避けられるのか?

ま、避けられるんですけどね。
んでも、質量6,000倍の隕石って、すごすぎ。太陽系最大の惑星、木星ですら、地球質量の318倍ですからね。そりゃ避けるしかないわなって思えちゃう。

この妖星ゴラスの設定って、絶対おかしいと思うんですよ。
地球を動かすってそんな無茶な、、て誰でも思うはず。だって地球は猛スピードで太陽の周りをグルグル回ってるんですよ。しかも絶妙な位置関係で太陽の恩恵を受けているわけです。ちょっとでも内側に入れば、地球気温はバンバン上昇し外側に動けば、寒冷地獄に陥る。あと、月はどーした。ほったらかしか、おい。

ツッコむところは無尽蔵に出てきます。
でも、ここで、ふと考えます。地球を動かすことは、もしかして可能なのか?って、考えがアタマをよぎる。よぎんなよって思われる方もいましょうが、ここまで大風呂敷を広げられると、感覚がマヒしちゃうのですな。科学的整合性もまるっきり放棄して、物語はひたすら人間ドラマに終始します。当時は、米ソが冷戦中なので、とりあえずそーいうわだかまりをひとまず置いといて、協力しようとか、国連に予算が無いんで、計画が進まなくて一悶着あるとか、案外しっかりとした流れで物語が進んでいきます。

トンデモ映画でも、平成ゴジラシリーズに比べて、妖星ゴラスの評価がそんなに低くないのは、しっかりとした脚本のせいではないかと思うのだ。でも、科学的考証は最後の最後までほったらかし。気持ちいいくらいにバッサリと。

「これから地球の位置を戻さなきゃ」「これからが大変だ。でもがんばろう」っつって、今度は北極にジェット推進装置を作るぜ!って感じで終劇を迎えるんですが、、、、まてまてぃ、そんな悠長なことを言ってていいのか?!

宇宙ってのは、地球上ほど、抵抗があるわけじゃないので、一旦加速がついちゃうとグングン、スピードが上がっていくわけで、北極にジェットが出来る前に、人類は滅亡しちゃう可能性大だぞ。

そんな観客のツッコミだけを木っ端微塵に砕いて妖星ゴラスは、宇宙の彼方に去っていきました。

悲恋は悲恋のままで、バタフライ・エフェクト

来月には「バタフライ・エフェクト2」が公開されることもあり、復習も兼ねて映画「バタフライ・エフェクト」を見た。
映画館で一度見たのだが、DVDではおまけとして別エンディングが2種類4パターン用意されているとのことで「ぽすれん」で借りてみた。

「バタフライ・エフェクト」は、過去のターニングポイントに遡って、歴史を変えることができる男が主人公の話なんですが、過ちを犯すまいとして、過去の出来事に干渉すると、現在の境遇が変わってしまう。トラブルを回避するために良かれと思ってやったことにより、現在では誰かが不幸になっている。じゃあもっと遡って、歴史をイジったら今度は別の誰かが不幸になっている。何をどうあがいてもバッドエンディングしか待ってないような世界で、孤軍奮闘するんですな、主人公は。詳しくは見てからのお楽しみってことで。

お楽しみの別エンディングは、本編とは異なるラストシーンの数十秒がちょこっと流れるだけなんで、軽く肩透かしをくった様な気分。
それが2パターン、それぞれに、そのままバージョンと、監督のツッコミ音声が入っているバージョンが用意されているので、計4つのエンディングが用意されている。

監督ツッコミ入りバージョンを見ると、やはり本編で流れたエンディングが正解なんだなぁと実感する。こーいうエンディングだったらいいのに!と思うエンディングが別エンディングとして用意されているんだけど、やはりしっくりこない。

タイタニックを見て、ふたりとも生き残ればいいのに!と涙した人は数多くいると思うが、実際にそーいうエンディングだったら、いまいち感情移入できないのではないだろうか。そーいうことである。やはり悲恋は悲恋として成立するからこそ、作品が生きてくるのである。「悲しいけどこれ、現実なのよね」とスレッガー中尉も言ってましたしね

なお、レンタル用ではなく売られているDVD版には、さらに別エンディングがひとつ加わっているらしい。興味があるにはあるけど、また悲しくなってくるのでやめとこ。

いまさら、少林サッカーを大絶賛してみる

少林サッカーは、その破天荒なストーリー、あるいはWカップに合わせて公開というナイスなタイミングで、話題になった映画だ。知らない人のために、まずはあらすじ

その昔、黄金の脚と呼ばれたサッカー選手「ファン」は、八百長試合にハメられた挙句、サッカー選手生命を絶たれてしまい、失意の日々を過ごしている。そんな彼の前に表れたのが、少林拳を世間に広めたいと夢見ている青年「ハン(演:周星馳)」だった。

ハンの卓越した脚力を目の当たりにしたファンは、サッカー選手としてスカウトし、サッカーチームを結成する。
そして社会の底辺でうだつの上がらない日々を送っているハンの兄弟弟子達も巻き込み、少林チームは、鍛え上げられた少林拳の妙技を引っさげ、サッカー大会に挑むのだった。

主演の周星馳(チャウ・シンチー)は、香港映画随一の著名人で、「不夜城」を書いた「馳星周」の元ネタとしても有名である。
その周星馳は、この映画に並々ならぬ決意を抱き、制作したという。

その一端が、出演者に垣間見ることができる。
主人公のチームメイトは、過去に少林寺で共に学んだ兄弟弟子なんだけど、これがまるで冴えない。極度の肥満体に成り果てた弟弟子。旋風脚という華麗な足技の達人は証券会社に勤めるバーコードおやじ。他にも、うだつのあがらない人生をおくっている兄弟子、失業中の兄弟子など、冴えない人間のオンパレードだ。

そーいうパッとしない人間を集めて、人間賛歌を高らかに謳いあげているのか、といえば、さにあらず、ただ単純に「自分が最もカッコよく映るために、冴えない人間を集めた」らしいのだ(周星馳:談)。

これは彼流の諧謔(かいぎゃく)なのかもしれないが、あながちウソにも聞こえない。周到なマーケティング、周星馳のネームバリュー、そーいうしゃらくさい商業主義をくそ蹴散らして、周星馳のリビドー全開の映画に仕上がっている

ジェームス・キャメロンは、映画制作の不足分に自ら出資してまで、タイタニックを完成させたが、周星馳もそれほどの執念を燃やして、少林サッカーを世に放ったのだ。最高レベルの私的映画だから、美味しい思いをしたいのも、うなづける話である。

ところが、ただの自己満足映画に終わらないのが、この映画の凄いところで、良質エンターテイメント映画に仕上がっている。

見終わった後に、人生がガラリと変わるとか、目からウロコが落ちるとか、身長が伸びるとか、恋人ができるとか、宝くじに当たるとか、そーいう効能はないけれども、スカッ!とした爽快感を味わえる。これは間違いない。

演出面で特筆すべきは、CGと実写の融合だろう。かなりの割合で、CGが用いられているのだが、使われ方が巧みだ。

CG技術は、現実に有り得ないシーンをリアリティを持って再現することに成功はしたものの、それが説得力を持たせられているとはいい切れない。どれほどCG技術が発達しようとも、超えられない壁はあるのだ。ジュラシックパークのよーに、恐竜がスクリーンに出てきたとしよう。たとえ、それがリアルの極致であったとしても、観客の頭の片隅に「恐竜は絶滅してこの世にいない」という情報がインプットされている限り、真のリアリティは訪れない。「よく出来ているなぁ」と思われるのが関の山である。

ご存知のよーに、香港映画にはお家芸ともいうべき「ワイヤーアクション」がある。役者の身体にくくりつけたワイヤーを裏方の人力で操作し、超人的なアクションをさせるという力技である。カンフー映画で、悪役が何メートルも派手に吹っ飛ぶシーンを見たことがあるだろう。あれがワイヤーアクションの真骨頂である。CG技術と対極にある演出技術といってもいい。

「少林サッカー」では、ワイヤーアクションとCGが上手く使い分けられている。多くのシーンでCGが用いられているはずなのだが、「香港映画=ワイヤーアクション」の図式があるため、CGシーンであっても、ワイヤーアクションを意識してしまい、それが「実」に見えてくるのだ。よく考えると、いくらワイヤーアクションでは無理だろーな、なんて「虚」に気付く。

「実」と見せかけて「虚」、「虚」と思えば「実」。
「虚」と「実」が入り乱れてリアリティを醸し出しているのである。

さて、少林サッカーは、ベタベタのコメディである。
どこかの映画批評サイトで、笑いがしつこい、と評されていた。たしかにベタベタな笑いが、これでもか、と注がれている。上品であるとはいえない。拒否反応を示す人もいるだろう。

がしかし、いま、日本テレビ界でのお笑いが、いき過ぎともいえる過剰規制によって、活力を無くしている状況下で、プリミティヴな笑いのエッセンスは逆に新鮮に映った。

僕は、ベタベタな笑いが好きなのだ。吉本新喜劇のよーな予定調和のベタベタな笑いではなくて、タライがどーんと落ちてくるとか、志村うしろうしろーとか、切羽詰った坂上二郎のリアクションとか、そーいうヤツだ。

なんつーか、、、
小難しいことは抜きにして、スカッ!と笑い飛ばそうぜ、兄弟!なのである。ぜひ。

笑拳は吹き替え版を見るべし

ジャッキーの映画をテレビでやってるとほぼ見入ってしまう。「~モンキー」シリーズならほぼ100%見る。あーこれ見たことあるからいいや、なんてことにはまずならない。

「カンニングモンキー天中拳」「クレイジーモンキー笑拳」「スネーキーモンキー蛇拳」「ドランクモンキー酔拳」がその「~モンキー」シリーズだが、皆さんもどれかひとつくらいは目にしたことがあるのではないだろうか。

これらの話は、ヘボヘボ主人公が苦しい修行を経て最後には悪漢を倒す、というフォーマットを踏襲している。要約が1行で済んじゃうほど、簡単明瞭なストーリー展開だ。前出の「木人拳」はもう少し人間ドラマが織り込まれているが、基本的なプロットは同じである。

これらの作品のキモは、辛い修行を経て悪漢を倒したときのカタルシスではないだろうか。笑拳の場合は、

成龍は祖父と隠遁生活を送っている。カンフーの達人である祖父は、常に命を狙われているのだ。だが、そんな事情を知らぬ成龍は、町道場で祖父直伝のカンフーを披露し、それが元で追手に祖父の居場所を知られてしまう。意気揚々と帰宅する成龍を待っていたのは、追手に襲われていた祖父の姿だった。病に冒されていた祖父に反撃する力はない。勇んで助けに入ろうとする成龍。だが、謎の老人に羽交い締めにされ、助けに入ることが出来ない。成龍はなす術なく目の前で祖父は殺される。

老人に怒りをぶつけると、老人は言う「私はお前の祖父と兄弟弟子だった男だ。おまえが出ていっても返り討ちに遭っただろう。だから私の修行で力を付け、仇を討つのだ」
成龍は老人(名前を八本足という)の元で厳しい修行に望む。成長した成龍に八本足は彼ら流派に伝わる秘伝を伝授する。喜怒哀楽の感情をコントロールすることで、己の潜在能力を引き出し、また相手の戦闘意欲を奪ってしまう奥義だった。

修行に励む彼らにも追手の手が伸びてきた。3人の使い手を撃退した成龍の前に、大将格の使い手が現われる。ヤツこそが成龍の祖父を殺した男だった。怒りに身を任せて襲いかかる成龍。だが、直前の闘いの疲れもあり、男に歯が立たない。一時距離を置く成龍の脳裏に、八本足の言葉がよぎる。感情をコントロールするのだ、と。呼吸を整え、力をみなぎらせていく成龍。

第2ラウンドが始まる。(ここら辺からBGMで笑拳のテーマが流れ出す)喜哀楽の型で男を翻弄する成龍。攻撃にされる度に「泣き」「笑い」「喜ぶ」成龍の姿に男はペースを乱され、次第に劣勢に追い込まれていく。 疲れ果てた男に成龍は「怒」の型でトドメを刺すのだった。終劇

しまった。カタルシスを感じる箇所を書き出そうとしたら、粗筋を丸々書いてしまった。これでは浜村淳の映画レビューと同じじゃないか。まぁいいや。

こないだ、スカパーのあるチャンネルで笑拳をやってたので、喜び勇んで見たら、これが字幕スーパー版。「笑拳」の字幕スーパー版なんて初めて見たけど、これがいただけない。前出の粗筋で書いたBGMが流れないのである。
劣勢を挽回していくプロセスにおいてこのBGMが流れないのはイタイ。なんとなく勝っちゃった、って感じがするのだ。

というわけで見るんだったら、おなじみ石丸博也の吹き替え版をオススメします。