カテゴリー : 2007年 9月

笑拳は吹き替え版を見るべし

ジャッキーの映画をテレビでやってるとほぼ見入ってしまう。「~モンキー」シリーズならほぼ100%見る。あーこれ見たことあるからいいや、なんてことにはまずならない。

「カンニングモンキー天中拳」「クレイジーモンキー笑拳」「スネーキーモンキー蛇拳」「ドランクモンキー酔拳」がその「~モンキー」シリーズだが、皆さんもどれかひとつくらいは目にしたことがあるのではないだろうか。

これらの話は、ヘボヘボ主人公が苦しい修行を経て最後には悪漢を倒す、というフォーマットを踏襲している。要約が1行で済んじゃうほど、簡単明瞭なストーリー展開だ。前出の「木人拳」はもう少し人間ドラマが織り込まれているが、基本的なプロットは同じである。

これらの作品のキモは、辛い修行を経て悪漢を倒したときのカタルシスではないだろうか。笑拳の場合は、

成龍は祖父と隠遁生活を送っている。カンフーの達人である祖父は、常に命を狙われているのだ。だが、そんな事情を知らぬ成龍は、町道場で祖父直伝のカンフーを披露し、それが元で追手に祖父の居場所を知られてしまう。意気揚々と帰宅する成龍を待っていたのは、追手に襲われていた祖父の姿だった。病に冒されていた祖父に反撃する力はない。勇んで助けに入ろうとする成龍。だが、謎の老人に羽交い締めにされ、助けに入ることが出来ない。成龍はなす術なく目の前で祖父は殺される。

老人に怒りをぶつけると、老人は言う「私はお前の祖父と兄弟弟子だった男だ。おまえが出ていっても返り討ちに遭っただろう。だから私の修行で力を付け、仇を討つのだ」
成龍は老人(名前を八本足という)の元で厳しい修行に望む。成長した成龍に八本足は彼ら流派に伝わる秘伝を伝授する。喜怒哀楽の感情をコントロールすることで、己の潜在能力を引き出し、また相手の戦闘意欲を奪ってしまう奥義だった。

修行に励む彼らにも追手の手が伸びてきた。3人の使い手を撃退した成龍の前に、大将格の使い手が現われる。ヤツこそが成龍の祖父を殺した男だった。怒りに身を任せて襲いかかる成龍。だが、直前の闘いの疲れもあり、男に歯が立たない。一時距離を置く成龍の脳裏に、八本足の言葉がよぎる。感情をコントロールするのだ、と。呼吸を整え、力をみなぎらせていく成龍。

第2ラウンドが始まる。(ここら辺からBGMで笑拳のテーマが流れ出す)喜哀楽の型で男を翻弄する成龍。攻撃にされる度に「泣き」「笑い」「喜ぶ」成龍の姿に男はペースを乱され、次第に劣勢に追い込まれていく。 疲れ果てた男に成龍は「怒」の型でトドメを刺すのだった。終劇

しまった。カタルシスを感じる箇所を書き出そうとしたら、粗筋を丸々書いてしまった。これでは浜村淳の映画レビューと同じじゃないか。まぁいいや。

こないだ、スカパーのあるチャンネルで笑拳をやってたので、喜び勇んで見たら、これが字幕スーパー版。「笑拳」の字幕スーパー版なんて初めて見たけど、これがいただけない。前出の粗筋で書いたBGMが流れないのである。
劣勢を挽回していくプロセスにおいてこのBGMが流れないのはイタイ。なんとなく勝っちゃった、って感じがするのだ。

というわけで見るんだったら、おなじみ石丸博也の吹き替え版をオススメします。

翼よ、あれがタイムパラドックスの光だ。ゴジラvsキングギドラ

ヘンな映画を見ると、逆にワクワクする。B級嗜好が日々加速しているよーな気がしてならないが、今回ご紹介の「ゴジラvsキングギドラ(1991年)」(以下ゴジギド)」も最初の数分だけ、でビビビッ!とB級センサーが反応した。見終わった後は、センサーの針が振り切れるくらいのB級ぶりだった。サイテーでサイコーである。

何が「ゴジギド」を最強のB級映画にたらしめているか?
それは、ひとえに「タイムトラベル(時間旅行)」モノであったという一点に尽きる。詳細は置いといて、まずは、冒頭のあらすじ。

現在の日本に、23世紀から未来人がタイムマシンに乗ってやってくる。
彼らは、23世紀でゴジラが大暴れして大変なことになっているので、ゴジラをこの世から葬ることにしたと告げる。

ゴジラは、第二次世界大戦中にラゴス島に生存していたゴジラザウルスが、終戦後近海での水爆実験により、巨大化しゴジラとなったという。だから未来人は、ゴジラを誕生させないために、戦時中のラゴス島に行き、ゴジラ化する前に、ベーリング海に移動させようというのだ。

折りも折り、現代日本にゴジラが接近していることが判明し、その被害を憂慮した日本政府は、未来人の申し出を受けることにする。
そして、未来人と戦時中のラゴス島関係者など現代人3名は、戦時中のラゴス島にタイムトラベルし、ゴジラザウルスをベーリング海に転送する。

無事ゴジラザウルスを転送できた一行は、ホッとした面持ちで現代に帰還する。がしかし、新たな事実が彼らを待っていた。「ゴジラ反応は消えたけど、代わりにキングギドラが現れた!!!」

とりあえず序盤の20分くらいのあらすじ終わり。

まず未来人が、チャックウイルソンってところで、B級センサーがビンビン反応する。大森監督は、よりによって未来人にチャックウイルソンをキャスティングしたんだろうか?プロデューサーの強い意向なのか?謎だ。しかも片言の日本語を話させている。もちろん演技なんかなっちゃいない。

もしも翻訳機が進歩したのであれば、チャックに英語を話させて、日本語をかぶせればいいし、もし日本語が世界共通語となっている、もしくは未来人は多言語を話すことが出来るというのであれば、ピーターバラカンあたりの日本語の流暢な人を充てればいい(ピーターバラカンが出演するとは思わないけど)。

観客はチャックで先制パンチを受け、そこでまず全ての思考能力を奪い去られる。
この映画は考えてみちゃダメなんだなぁと再認識するのである。そしてタイムトラベルとなると、さらにB級暴走は加速していく。もう止まんない。

あらすじにも書いた通り、ゴジラザウルスをベーリング海に転送しひと安心かと思いきや、現代に戻ってくると、日本は新たな脅威に晒されている。
「ゴジラ反応は消えたのだが、今度はキングギドラが現れた!!」ってそーいうことを言うのだ。本当に!!

すっげー!タイムパラドックス!!
奥さん奥さん、これがタイムパラドックスってやつですわよ。

僕は、ここまでタイムパラドックスについて無頓着な映画を知らないし、多分これ以上に無頓着な映画は出てこないと思う。映画バックトゥザフューチャーや漫画ドラゴンボールでタイムトラベルは扱っているんだけど、深く突っ込めばアラが出て来るとはいえ、説明をしようとする意思は感じた。頑張って辻褄を合わせようとしていた。この意思が、大切。たとえ科学的・論理的に間違っていてもハッタリを貫き通すことにSFの面白さがある。

「ゴジギド」にはそーいう意思は全く感じられない。ゴジラは娯楽映画だから細かいこといいじゃーん、って人もいるんだろうけど、その大味な部分がゴジラ映画をつまんなくしてるのだ。って、いかんいかん、そーいうB級テイストを楽しもうというコーナーだった。

どこら辺がタイムパラドックスなのよ、そもそもタイムパラドックスってなにさ。
っていぶかしげな人のためにちょいと説明。タイムパラドックスっていうのは、タイムトラベルで過去に行った場合、色々と矛盾点が出てくることを指す。

たとえば、過去に行って自分の祖先を殺しちゃった場合、どーなるか?
祖先がいなくなるから、現在の自分もいなくなる。現在の自分がいなくなるってことは、過去に行って祖先を殺しちゃう人間がいなくなる。ってことは現代の自分は存在してて、んで過去に行って祖先を殺しちゃって、、、、、ってな感じで堂堂巡りで、頭がこんがらがっちゃうじゃない。それがタイムパラドックス。

ゴジラの場合も同じ。過去に行って、ゴジラの誕生を阻止したとすれば、未来においてもゴジラはいないわけで、そーすると、未来がゴジラによって脅かされることもなくなり、ってことは未来人が現代に来ることもないわけで、そもそもゴジラが現れないということになると、ゴジラに殺される予定の人達も、健在になっちゃうわけで、未来図にも多大な影響が出てきちゃうし・・・Theタイムパラドックス。

とにかく未来においてゴジラが出てきたから、過去に行ってゴジラの誕生を阻止しましょ♪そーしましょ♪
なーんて簡単な問題じゃないのだ。ほいほい手を出しちゃいかんのよ。

それをやっちまったのだ、大森監督は(脚本も大森一樹)
7万歩くらい譲っても、戦時中から現代に帰還した未来人&現代人一行に向かって、「ゴジラ反応は消えたのだが、、、」というシーンはあまりにも酷すぎる。だ・か・ら~、過去の時点でゴジラがいなくなったってことは、ゴジラ反応が消えたとか何とか言っちゃう前に、現代においてゴジラは初めから存在しないんだってば。

んで、ゴジラザウルスをベーリング海に転送した際に、未来人はグレムリンに出てくるギズモのような小動物3匹をこそっとラゴス島に放つ。それが、水爆実験の影響で、3首竜のキングギドラになっちゃった、って設定なのだ。深く考えちゃダメだ。深く考えちゃダメだ、、、と言いきかせても、自分の心にウソはつけない。なんじゃそりゃ!

水爆はなんでもありか!!ありなのか!!
ゴジラザウルスが、水爆実験の影響で巨大化してゴジラになったのを、200万歩譲ったとしても(譲んなよって心の声が聴こえる)、3匹の小動物が水爆実験で、巨大化のみならず「合体」した、、、って一体どーいう生物なんだ。
そんな水爆あるなら、オレとキムタクをラゴス島に送りやがれってなもんだ。合体しちゃるわい。巨大化しちゃるわい。

とにかくもう前半の20分だけでこれだけツッコミポイントがあるのだ。
1時間半の中では、もう想像もしたくないほど、ツッコめる。こーいう映画が商業ベースで上映されたことを神に感謝したい。っていうか、一緒に神に感謝しようよ、ね、大森監督。