カテゴリー : 2007年 9月

万能だけど万能じゃないそんな泥臭さが好きさマジンガーZ

幼い頃に、「マジンガーZ」に出会えたのは、僕にとって最高に幸せなことではなかっただろうか。このアニメが、僕の感受性にいくばくかの影響を与えているのは間違いない。少なくとも、マジンガーZに出会った僕は、マジンガーZに出会えなかった僕よりもはるかに、面白い人間になっているはずである。

1972年放送開始ってことは、僕は2才である。たぶん、リアルタイムで見ていたかどーか、ちょっとアヤシイ。再放送だったのかもしれない。マジンガーZは、人間が搭乗するタイプの初(たぶん)ロボットアニメであり、その後のロボットアニメに多大な影響を与えた。 マジンガーZは、地球上で最も硬い超合金Zで身を包み、夢のエネルギー光子力で動き、しかも全身武器のカタマリ。胸部放熱板から発射されるブレストファイヤー、敵を追尾し飛んでいくロケットパンチ、口からは強酸を含む強風ルストハリケーン、目から放たれる光子力ビーム、兜十蔵博士は孫の兜甲児に、「マジンガーがあれば、神にも悪魔にもなれる」といい残し、息を引き取った。それほど完成度の高いロボットだったのだ。

対するドクターヘルの機械獣軍団は、性能でマジンガーに劣る。超合金Zも光子力も持ってないので。そこで、ドクターヘル&配下のアシュラ男爵などは姑息な作戦を使って、マジンガーを倒そうと画策する。(アニメと漫画版のエピソードがごっちゃになっています)

1:主人公の家を夜襲。
マジンガーがいかに強力でも、搭乗者は生身の人間。搭乗前に殺ってしまえばマジンガーはただの鉄のカタマリ。ってことで、搭乗者・兜甲児の自宅に夜襲をかけるものの失敗。その後、兜甲児はマジンガーを置いてある光子力研究所に居候の身となり、身辺警護をしてもらう。夜も安心。

2:主人公を狙い撃ち。
マジンガーを上空に持ち上げ、落としてしまう作戦。マジンガー自体はその衝撃に耐えられても、兜甲児は生身の人間。その衝撃に耐えられないはず。たしかに一回目の作戦は成功し、兜甲児は大ダメージを受ける。しかし、その後、衝撃にも耐えられる戦闘服が完成。ある程度の衝撃には耐えられるようになる。

3:マジンガー、水中は苦手。
陸上戦では無敵を誇るマジンガーですが、水中戦は不得手なことが判明する。光子力ビームは乱反射のためまっすぐ飛んでいかないし、ブレストファイヤーも威力半減。
しかも水中では、思うように動きがとれない。そこで、アメリカより光子力研究所所長弓教授の親友スミス博士が来日、マジンガーを改良する。足の裏に、水中用の推進装置を内蔵。光子力ビームも改良され、水中戦もオッケーに。

このように、敵もあの手この手を使って、マジンガーのウィークポイントを狙ってきます。万全に思えたマジンガーも実は、完璧ではなかったのです。しかし、苦戦はするものの、その都度、ちょっとした改良を加え、なんとかその弱点を克服してきました。 しかーし、ここで大弱点が判明。

マジンガーZは、空を飛べないorz

リアル系ロボットでは、単体で空を飛べないロボットというのは結構存在します。ガンダム、サブングル、エルガイムなどなど。しかし、スーパーロボット系ロボットで空を飛べないのは、マジンガーZくらいのものではないでしょうか。その弱点にいち早く気付いたドクターヘルは、配下のブロッケン伯爵に、空飛ぶ機械獣軍団(分かりやすいネーミング)を与え、マジンガー攻略にあたらせる。

んで、1、2ヶ月ほど、マジンガーの苦戦が毎週続くわけですよ。さすがのマジンガーも攻撃が届かない上空からの攻撃には手を焼きます。見ててハラハラするくらいの辛勝っぷりで、子供ココロにも、「やべーよ、マジンガー、このままだと負けちゃうよ。空飛ばなきゃ、空!!」と手に汗握ります。マジンガーが空を飛ぶ!ってのが、シリーズ中盤のカギを握っていました。 そんな中、テレビくん、テレビマガジンのよーな、子供向け雑誌には、「ジェットスクランダー」なるものの存在がリークされます。 「こ、これは、マジンガーの新兵器?!」「マジンガー、飛べるん?」 時を同じくして、テレビでは、来週あたり負けちゃうよってくらいには、マジンガーが追い詰められています。

さぁ、盛り上がってきました。
そして34話では、ついに「ジェットスクランダー」の開発が行われていることが明らかになります。「ジェットスクランダー」は、マジンガーの背中にカチャッと合体する飛行マシンだったのだ。これで飛べる。着々と開発が進められていきますが、ドクターヘルも手をこまねいているわけではありません。開発中のジェットスクランダーに攻撃を仕掛けてきます。

ガーン!!ジェットスクランダーが、破壊されてしまった・・・。

あああ、、、ジェットスクランダーが、、、テレビの前の、何千万人の子供の悲鳴が聞こえてきそうです。おそらく泣き出した子供もいたでしょう。僕は泣きませんでした。正義を信じていたからね!

高笑いするドクターヘル&ブロッケン伯爵。ちょっと悔しげなアシュラ男爵。 が、破壊されたのは、実はダミーであったことが判明。本物は、ちゃっかり完成したのでした。僕もこぶしで涙をぬぐいます。泣いてなんかないやい。
とはいえ、完成したばかりでテスト飛行すらしていません。こうなればぶっつけ本番で試すしか!(この「ぶっつけ本番」って、ロボット系では王道。新兵器は切羽詰った状況下で、大抵テスト無しに投入されます)

「行けるかね?甲児君」確認する弓教授。
「お願いします。弓教授」覚悟を決める兜甲児。

そして、ジェットスクランダーが、大空に発射! ここで挿入される挿入歌名は「空飛ぶマジンガーZ(唄:水木一郎)」!!「♪3・2・1・0・発射!! 大空はばたく紅の翼 その名はジェットスクランダー。

大空を舞うジェットスクランダー、それにタイミングを合わせジャンプするマジンガー。大空で、合体!(スクランダークロス)。ついにマジンガーが翼を手に入れました。大空を舞うマジンガーは、今までのお返しとばかりに、ぶっちぎりの強さで、空飛ぶ機械獣を撃破した。 いかん、目が潤んできた。おそるべし幼児体験。それほどまでに、このカタルシスは、筆舌に尽くし難い。

次シリーズ「グレートマジンガー」でも、中盤のパワーアップで「なんとかブースター」を開発したり、次々シリーズ「グレンダイザー」でも、同様に「なんとかスペーサー」が出てきたりするけど、この「ジェットスクランダー」登場のインパクトに勝るものはない。 孫悟空が、超サイヤ人になるくだり(クリリンを殺された怒りで超サイヤ人に変化する)は、やはり同様のカタルシスを感じるけど、超サイヤ人2、3、4(4はアニメ版だけ)になるに及んでは、全くカタルシスを感じないのと同じである。

やはり、二番煎じ三番煎じの感動は、最初の感動に遠く及ばないのである。 話を戻す。ジェットスクランダー登場に合わせ、「空飛ぶマジンガーZ」という挿入歌が用意されていることからも分かるように、マジンガーが空を飛ぶってことがいかに重要なイベントだったか分かる。ほんと、全国数千万人の子供達が切望していたのよ。

うーんと、「ジェットスクランダー」の造形についても、記しておこう。単独飛行時は、∧状なんだけど、合体すると翼が可変して、∨状になる。かっこえー。あと、翼から発射される手裏剣っぽい武器の名前が「サザンクロスナイフ」。もう一度「サザンクロスナイフ」。うーん、この語感がなんとなく好き。子供ができたら、「サザンクロスナイフ」って名付けちゃおうかな。

この後も、ロケットパンチにアイアンカッターという刃が付加されたり、ひじ部分からドリルミサイル、耳から冷凍ビールが出たり、ホバーパイルダーがジェットパイルダーに変わったり、などのマイナーチェンジが施されることになる。 実は、マジンガーZは、子供月刊雑誌に情報をリークしていた関係上、1ヶ月に1回(4話に1回ってことね)は、なんらかのイベント(新武器、強敵、新キャラなど)が仕込まれていたのである、なーんてこともオトナになって知ったことだった。

そんなオトナな事情をまーったく知らない無垢な少年だった僕の夢は、ジェットスクランダーをくっつけ、空を飛ぶことだった。作文にも、「おおきくなったら科学者になりたい」って書いたっけ。ああ、ノスタルジー。 というわけで、ネットの空を雄雄しく飛び回りたいという夢を託してこのブログに「ネットスクランダー(NetScrander)」という名前をつけたのである。

そうなんですねーって、日本語としておかしくない?

最近、気になるのが「そうなんですねー」というあいづち。
先日会社にかかってきた不動産系セールスの電話

セ:御社に移転のご予定はございますか?
僕:今のところないです
セ:そうなんですねー

はぁ?
質問の答えに対する返しで「そうなんですねー」は明らかにおかしい。100歩譲って「そうなんですか」「左様でございますか」でしょ。

「そうなんですねー」って言い回しは、僕が答えた事柄について予め知ってた、あるいは再確認、なんてシーンでしか出てこないと思うのだが。少なくとも初コンタクトの相手に対して使う言葉とは決して思わない。小馬鹿にされているようですごく不快。

正しい日本語を使えとまでは言わないけど、意味とかニュアンスとか分かった上で言葉は使ってほしい。

インタビューの進行は、収束するのか?開放するのか?の視点が大事

インタビューの方法論はこの記事を参照いただく、として今回は実際にどのように取材を進めたらいいのか、ということを書いてみます。インタビューは、ライティングの中では最も高度な技術を要求されます。やはり相手があってはじめて成立するものですから、インタビュア(インタビューする人)とインタビューイ(インタビューされる人)のどちらか一方が不完全燃焼だったら良い記事になりません。

●収束型インタビュー

インタビューには2種類あります。ゴールが決められているインタビューと、ゴールではなく過程を語ってもらうインタビューです。

ゴールが決められているインタビューとは、インタビューイに言って欲しい一言があるインタビューを指します。収束型インタビューといってもいいでしょう。たとえば、トレーニングマシンがあって、これについて高名なスポーツ選手にインタビューする場合、「そのトレーニングマシンが有効であることを語ってもらう」ことがミッションとして課せられていれば、それは収束型インタビューです。

「このトレーニングマシンはいいね。愛用してるよ」

選手からこの一言を引き出すために、インタビューを組み立てる必要があります。その思惑を感じ取り、警戒されるとこのテのインタビューは失敗に終わってしまうので、周到に会話を組み立てることが重要です。もちろん、そういうコメントが欲しいんです、と予め取材意図を伝えておくパターンもあります(大抵そういうときは何らかのビジネスや報酬が発生することがほとんどですが)。

収束型インタビューでの最悪のケースは、

インタビュア:このトレーニングマシンいいですよね?

A選手:うん

これだけの会話で「”このトレーニングマシンはいいね”とA選手は語った」と記事を書くことです。語った、というよりも、ほとんど誘導尋問です。捏造と言われても仕方がありません。本人が言ってないのですから。(インタビューイによる記事チェックのときに揉めます)

警戒されないで、うまくその一言を引き出すためには、それなりのテクニックが必要ですが、逆に、向かうべきゴールが決まっている分、インタビューを進めやすい側面もあります。話がどこに向かおうとも、そのゴールに向けて軌道修正できるので、進行しやすいのです。その分、収束型インタビューでは突拍子も無い話題になることは少ないです。話題が逸れそうになったら、軌道修正してしまいますから、仕方がありません。

話題があっち行ったりこっち行ったりしているのに、言わせたい一言はきちんと言わせている、というインタビューがあれば、それはもう非の打ち所がない完璧なインタビューです。ビシッ!と極まればかっこいいのですが、無軌道な話に引っ張られた挙句、最後まで実のあることを言ってもらえなかった、ということも有り得ますので、収束型インタビューはある程度、インタビュアが会話の主導権を握るべきでしょう。

●開放型インタビュー

トレーニングマシンのお墨付きを貰うインタビューではなく、トレーニングマシンの活用法やエピソードを語ってもらうインタビューならば開放型です。徹子の部屋は、開放型です。

過程を語ってもらうことが主目的なため、”言ってもらわなければならない一言”という縛りが無い分、気が楽です。何を聞こうが自由です。インタビューイが語る内容にこそ意味がありますので、とにかく面白い話が聞ければOKです。話が広がれば広がるほど、良いインタビューだった、といえるでしょう。

事前のリサーチが必要不可欠なのが開放型インタビューです。すごく盛り上がって、一杯しゃべってくれたので楽な取材だったなぁ、などと思っていたら、実は他の媒体で同じ話がすでに出ていた、なんてこともよくある話です。むしろ、インタビューイが饒舌に語っている話題は、何回も語られているためにネタとして完成しているのかもしれません。盛り上がれば盛り上がるほど、注意が必要なのです。

あらかじめリサーチしておけば、その話が既出なのかどうなのか判断できると共に、そこからさらに語られていない深い内容を突っ込んで聞くことができます。

開放型インタビューでは、いかに話を膨らませることができるか、が鍵を握りますが、大袈裟なリアクションをとる必要はありません。必要なのは聞く姿勢です。あなたのことをもっと知りたいんだ、という姿勢を見せることが開放型に限らず、インタビュー全般に必要です。

聞く姿勢というのは、とにかく質問すればいい、ということではありません。

インタビューイは質問されれば、そのことについてもちろん答えます。しかしその質問によって、インタビューイは、インタビュアがどれだけ自分のことを知っているのか分かるのです。本当です。

たまに僕がインタビューを受けることがありますが、僕のことをまるで知らない人がインタビューしてくるときがあります。会話して数分で分かります。ネットで検索すれば、僕に関する情報はいくつか出てきます。書いたコラムであったり、受けたインタビューであったり。リサーチする手間すら惜しいんかなぁ、と思いながらインタビューを受けます。

しかし一方で、あーあのコラム読みました面白かったです、なんて言われようものなら、確実にテンションは上がります。聞かれてもないことまでペラペラと喋ります。豚もおだてりゃなんとやら。そんなもんです。インタビューする際には、事前のリサーチをしておくとかなり円滑にインタビューが進みます。ただし、やり過ぎると逆に警戒されるので、ほどほどが肝心です。

●インタビュー術にあらず

今まで記してきたことはインタビュー限定の話ではなく、日常生活においても応用が効く話です。

誰かに会うとき、ただ親交を深めるだけなのか、ビジネスなのか、それによってスタンスは異なります。ビジネスならばもちろんリサーチが必要です。親交を深める場合も、他のブロガーと会うときなどは、もちろんそのブログを読んでおけば話が広がるでしょう。

情報は、情報が集まるところに集まってきます。人も、人が集まってくるところに集まってくるものです。機会があれば、色々な人と接触をもってみるのも、自身のブログの幅を広げる手段となるでしょう。取材系のネタにチャレンジしてみることをオススメします。

ブロガーのための取材テクニック

現在のブログは、批評・分析系ブログと日記系ブログが大半を占めています。一方、あまり存在しないのが、取材系の記事。取材記事は、取材時間はかかるわ、記事をまとめるのにも時間がかかるわ、でなかなか骨が折れるのですが、「取材を通して人脈ができる」「オリジナリティ溢れる記事が書ける」とというメリットがあります。

批評・分析や日記は、外に出なくても書けるのに比べて、取材記事は実際にそこに出かけていかなくてはいけません(メール取材や電話取材というテが無いわけじゃないけど)。人に取材をする場合などは原稿の確認もお願いしなくてはなりませんし、かなり手間がかかります。数が少ないのも仕方がないのですが、だからこそ、独自性が出せるのです。

●インタビューの準備

インタビューする場合、まずインタビューイ(取材対象となる人)にコンタクトをとります。企画意図と企画内容、希望日時と大体の所要時間を伝えます。ブログをやっているならば、もちろんブログのURLを伝え、こういうブログを運営しています、ということを知らせます。このときに、読者層やPVなどブログの媒体データも同時に伝えます。 それで先方の同意を得られれば、取材ということになるのですが、その前にやっておかなくてはいけないことがいくつかあります。

まずインタビューイに対して、あらかじめ質問内容を伝えます。これこれこういうことを伺います、と事前に告知しておくのです。これにより、インタビューイに心の準備をしてもらいます。もしかしたらそれに関連した資料なども用意してくれるかもしれません。心の準備ができていないところに唐突に質問したからといって、深い回答は得られません。

取材は生き物ですからあらかじめ想定していた取材内容から脱線する場合もありますが、これはこれでOKです。こーいうときはインタビューイから生きた言葉がバンバン出ているはずですからきっと面白い取材記事になるでしょう。とはいえ、全然盛り上がらないこともありますので、保険的な意味として、事前に取材内容を伝えておきましょう。

また取材前にやっておかなくてはいけないことは、インタビューイのリサーチです。著者があれば、もちろん全て目を通しておきます。インタビューイに関連するWebサイトも全てチェックしておきます。

これはインタビューイのキャラクターを深く理解しておくという以上に、既知の情報と重複しない情報を引き出すためです。先入観無しにインタビューをしたい!という人もいるでしょうが、せっかくインタビューしたのに、今までに別のところで語っている内容とカブって
しまえば、何の意味もありません。

「(出典を出して)この時点では、××のような意見をお持ちでしたが、現時点でも同じ考えですか?」という質問も、あらかじめリサーチしていればこそできる質問です。ここで、「今はちょっと考えが変わって、、、」みたいな話が引き出せれば、以前のインタビューと差別化が図れて、もう文句無しです。

インタビューの最中で話が途切れることがあったとしても、事前のリサーチによってインタビューイのことを熟知していれば、すぐに他のネタをふることができます。というわけで、事前のリサーチは必ずやっておきましょう。取材のときに話すネタが無くなってあたふたしなくて済みます。

●インタビューの7つ道具

私がインタビューの際に持っていくモノは、

・ボイスレコーダー
・筆記用具
・資料(事前に送っておいた質問項目や、会社概要)
・カメラ(※事前に写真をとってもいいかどうかは確認しておく)
・インタビューイの著書(あれば)

です。7つもありませんでした。

その中でもこれが無いと絶対に困るのは、ボイスレコーダーです。全ての記録が残るという利点はやはり大きいです。どういうことを喋ったかということは大体覚えていますが、細かいニュアンスまでは記憶が曖昧なときがあります。こういうときにはその箇所と前後を聞き込みます。

メモは一応取りますが、ほとんど単語の羅列です。話に出た印象的な単語をぽんぽんと書き連ねていきます。必要があればそれらを矢印で結んだりする程度で、書いたことをそのままメモとして残していきません。メモに集中してしまうと、会話が止まってしまいますし、そもそもボイスレコーダーがあれば、そんな詳細にメモを取る必要はないはずです。ただし、インタビューイが言ったことで、理解できなかったり、疑問に思ったことはちゃんと書きとめておきます。それはタイミングを見て、質問として投げかけます。

またメモの単語の羅列は、記憶を呼び起こす呼び水になります。あとで読み返してこーいう流れだったなぁ、と一目瞭然なのです。ボイスレコーダーがあるから、それを聞けばいいじゃん、思われた方もいるでしょうが、1時間録音した音声をまた1時間聞くのは馬鹿げた話です。

瑣末なことですが、電池の残量は事前に確認しましょう。取材の途中でボイスレコーダーが止まってしまって、青くなった経験があります。あのときはほんと焦った。

●インタビューその後

インタビューが終われば、それを記事にまとめます。対話形式でまとめるのか、インタビューイが語った形にするのか、インタビュアの記事の中にインタビューイのコメントが挿入される形式にするのか、それはケースバイケースです。

対話形式だとライブ感は伝わるものの、話し言葉が多くなり、内容が希薄になりがちとか、インタビューイが語った形だとかなり多くのことを語ってもらわないと文量的に足りなくなったり、といったメリット・デメリットがあります。そして記事にしたら、インタビューイに確認をしてもらい、OKが出れば、それを公開します。もちろん公開したことを伝えることを忘れずに。

2009年8月29日追記:取材記事の有効性について下記記事に詳しく触れられています。下記記事を読んでインタビューにチャレンジしたくなった方は↑の記事も参考にしてみてください。
良質なコンテンツと良質なリンクを1度に手に入れる方法 (海外SEO情報ブログ)

チップは歩合制の給料のことである説

海外旅行に行った際に悩みどころなのがチップ。
チップってのは、タクシーの運ちゃんやら、ベッドメイクの人やら、ウェイトレスのおねいさんやらに支払う「心づけ」のことで、
まずなんで渡さないといけないのか、渡すとしてもその妥当な額はいくらなのか、チップという概念が薄い日本人にとって、疑問が尽きないほんと地味に困った存在です。

んなわけで、事前にガイドブックで色々と調べてから旅立ったのですが、実際にチップに接してみて、ガイドブックなどに「チップとは感謝の気持ちを現金で表すもの」なんて表記が誤解が産むんじゃないのかと思った。

(あくまでも私見なのだが)チップってのは「歩合」のことだ。最低限の固定給がありつつも、業務を頑張った人に対する歩合給を店に代わって客がチップとして払うことがチップの本質だと思う。だから固定給というか時給は低く設定されているはず。

なので、「サービス業だから客に対してチップの有無に関わらず接客をするのは当然で、チップなんて払う必要はない!」って日本ルールをかざす人がいれば、それは大間違い。チップを払わないのは、給料を払わないってことと同義なのだ。チップは客の義務なのである。デフォルトで当然払うべきもので、サービスが良ければ相場よりも多く支払うものなのだ。

人よりも多く接客をした人、人よりも上質のサービスを提供した人、に対しての成果主義的な側面としてチップがあり、感謝の気持ちが云々、とかいった道徳的な側面はほとんど無いと思う。

チップは払うべきか否か、といえば、当然払うべきものであり、払わないことは即ち労働者の生活に深刻な影響を与える非人道的な行為と考えていい。

ハワイの基礎知識 - チップの常識 (ハワイの歩き方)

↑このページに「チップは「心づけ」とはいえ、ホテルやレストランで働く人たちにとって、お客さんから直接受け取るお給料といえるのです」と書いてあったので、あながち間違いではなかった模様。つか、行く前にこのページを読んでいればチップのあり方について悩むことはなかったのに。

悲恋は悲恋のままで、バタフライ・エフェクト

来月には「バタフライ・エフェクト2」が公開されることもあり、復習も兼ねて映画「バタフライ・エフェクト」を見た。
映画館で一度見たのだが、DVDではおまけとして別エンディングが2種類4パターン用意されているとのことで「ぽすれん」で借りてみた。

「バタフライ・エフェクト」は、過去のターニングポイントに遡って、歴史を変えることができる男が主人公の話なんですが、過ちを犯すまいとして、過去の出来事に干渉すると、現在の境遇が変わってしまう。トラブルを回避するために良かれと思ってやったことにより、現在では誰かが不幸になっている。じゃあもっと遡って、歴史をイジったら今度は別の誰かが不幸になっている。何をどうあがいてもバッドエンディングしか待ってないような世界で、孤軍奮闘するんですな、主人公は。詳しくは見てからのお楽しみってことで。

お楽しみの別エンディングは、本編とは異なるラストシーンの数十秒がちょこっと流れるだけなんで、軽く肩透かしをくった様な気分。
それが2パターン、それぞれに、そのままバージョンと、監督のツッコミ音声が入っているバージョンが用意されているので、計4つのエンディングが用意されている。

監督ツッコミ入りバージョンを見ると、やはり本編で流れたエンディングが正解なんだなぁと実感する。こーいうエンディングだったらいいのに!と思うエンディングが別エンディングとして用意されているんだけど、やはりしっくりこない。

タイタニックを見て、ふたりとも生き残ればいいのに!と涙した人は数多くいると思うが、実際にそーいうエンディングだったら、いまいち感情移入できないのではないだろうか。そーいうことである。やはり悲恋は悲恋として成立するからこそ、作品が生きてくるのである。「悲しいけどこれ、現実なのよね」とスレッガー中尉も言ってましたしね

なお、レンタル用ではなく売られているDVD版には、さらに別エンディングがひとつ加わっているらしい。興味があるにはあるけど、また悲しくなってくるのでやめとこ。

いまさら、少林サッカーを大絶賛してみる

少林サッカーは、その破天荒なストーリー、あるいはWカップに合わせて公開というナイスなタイミングで、話題になった映画だ。知らない人のために、まずはあらすじ

その昔、黄金の脚と呼ばれたサッカー選手「ファン」は、八百長試合にハメられた挙句、サッカー選手生命を絶たれてしまい、失意の日々を過ごしている。そんな彼の前に表れたのが、少林拳を世間に広めたいと夢見ている青年「ハン(演:周星馳)」だった。

ハンの卓越した脚力を目の当たりにしたファンは、サッカー選手としてスカウトし、サッカーチームを結成する。
そして社会の底辺でうだつの上がらない日々を送っているハンの兄弟弟子達も巻き込み、少林チームは、鍛え上げられた少林拳の妙技を引っさげ、サッカー大会に挑むのだった。

主演の周星馳(チャウ・シンチー)は、香港映画随一の著名人で、「不夜城」を書いた「馳星周」の元ネタとしても有名である。
その周星馳は、この映画に並々ならぬ決意を抱き、制作したという。

その一端が、出演者に垣間見ることができる。
主人公のチームメイトは、過去に少林寺で共に学んだ兄弟弟子なんだけど、これがまるで冴えない。極度の肥満体に成り果てた弟弟子。旋風脚という華麗な足技の達人は証券会社に勤めるバーコードおやじ。他にも、うだつのあがらない人生をおくっている兄弟子、失業中の兄弟子など、冴えない人間のオンパレードだ。

そーいうパッとしない人間を集めて、人間賛歌を高らかに謳いあげているのか、といえば、さにあらず、ただ単純に「自分が最もカッコよく映るために、冴えない人間を集めた」らしいのだ(周星馳:談)。

これは彼流の諧謔(かいぎゃく)なのかもしれないが、あながちウソにも聞こえない。周到なマーケティング、周星馳のネームバリュー、そーいうしゃらくさい商業主義をくそ蹴散らして、周星馳のリビドー全開の映画に仕上がっている

ジェームス・キャメロンは、映画制作の不足分に自ら出資してまで、タイタニックを完成させたが、周星馳もそれほどの執念を燃やして、少林サッカーを世に放ったのだ。最高レベルの私的映画だから、美味しい思いをしたいのも、うなづける話である。

ところが、ただの自己満足映画に終わらないのが、この映画の凄いところで、良質エンターテイメント映画に仕上がっている。

見終わった後に、人生がガラリと変わるとか、目からウロコが落ちるとか、身長が伸びるとか、恋人ができるとか、宝くじに当たるとか、そーいう効能はないけれども、スカッ!とした爽快感を味わえる。これは間違いない。

演出面で特筆すべきは、CGと実写の融合だろう。かなりの割合で、CGが用いられているのだが、使われ方が巧みだ。

CG技術は、現実に有り得ないシーンをリアリティを持って再現することに成功はしたものの、それが説得力を持たせられているとはいい切れない。どれほどCG技術が発達しようとも、超えられない壁はあるのだ。ジュラシックパークのよーに、恐竜がスクリーンに出てきたとしよう。たとえ、それがリアルの極致であったとしても、観客の頭の片隅に「恐竜は絶滅してこの世にいない」という情報がインプットされている限り、真のリアリティは訪れない。「よく出来ているなぁ」と思われるのが関の山である。

ご存知のよーに、香港映画にはお家芸ともいうべき「ワイヤーアクション」がある。役者の身体にくくりつけたワイヤーを裏方の人力で操作し、超人的なアクションをさせるという力技である。カンフー映画で、悪役が何メートルも派手に吹っ飛ぶシーンを見たことがあるだろう。あれがワイヤーアクションの真骨頂である。CG技術と対極にある演出技術といってもいい。

「少林サッカー」では、ワイヤーアクションとCGが上手く使い分けられている。多くのシーンでCGが用いられているはずなのだが、「香港映画=ワイヤーアクション」の図式があるため、CGシーンであっても、ワイヤーアクションを意識してしまい、それが「実」に見えてくるのだ。よく考えると、いくらワイヤーアクションでは無理だろーな、なんて「虚」に気付く。

「実」と見せかけて「虚」、「虚」と思えば「実」。
「虚」と「実」が入り乱れてリアリティを醸し出しているのである。

さて、少林サッカーは、ベタベタのコメディである。
どこかの映画批評サイトで、笑いがしつこい、と評されていた。たしかにベタベタな笑いが、これでもか、と注がれている。上品であるとはいえない。拒否反応を示す人もいるだろう。

がしかし、いま、日本テレビ界でのお笑いが、いき過ぎともいえる過剰規制によって、活力を無くしている状況下で、プリミティヴな笑いのエッセンスは逆に新鮮に映った。

僕は、ベタベタな笑いが好きなのだ。吉本新喜劇のよーな予定調和のベタベタな笑いではなくて、タライがどーんと落ちてくるとか、志村うしろうしろーとか、切羽詰った坂上二郎のリアクションとか、そーいうヤツだ。

なんつーか、、、
小難しいことは抜きにして、スカッ!と笑い飛ばそうぜ、兄弟!なのである。ぜひ。

PV3のアップデートにハマる

やっとPV3の起動に成功した。
今春に購入した新PCに搭載して以降、ずっと使えないままだったのだが、やっと使えるようになった。

原因はドライバー。いきなり最新版にアップデートしてはいけなくて、1.1から1.2、1.2から1.3と順を追ってアップデートを繰り返す必要があった模様。そんなことは公式サイトにもどこにも書かれていなかったのでずーっとそこでハマッていたわけである。

録画したデータは、AviUtlでCM部分をカットした後、H.264形式に変換するが、単純にCM部分を抜くと大やけどをしてしまうので、注意が必要だ。
というのもテレビ番組ではよく、CM明けにCM前の映像が数分巻き戻って流れることがあるので、録画データからCM部分だけ単にカットしてしまうと、CM前後の内容がダブってしまい、同じシーンが続いてしまうのである。

つまり、

シーンA > シーンB > シーンC > CM > シーンB > シーンC > シーンD

となっているときに、CMの部分のみをカットすると、

シーンA > シーンB > シーンC > シーンB > シーンC > シーンD

となってしまい、シーンBとシーンCがダブってしまうことになる。
この場合は、CM前のシーンB・シーンCか、CM後のシーンB・シーンCをCMと共に削除しなくてはならない。そうしてはじめて、
シーンA > シーンB > シーンC > シーンDとキレイに並ぶのである。

どっちを削除するかは、実際の映像次第である。CM前のシーンCに、「スペシャルゲストの正体は?」と出演者にモザイクが入ってて、CM明けのシーンCにはそのモザイクが外れていたりすると、削除すべきはCM前のシーンCである。またCM後のシーンBに重要なナレーションが入っていたりすると、当然残すのはこちらになる。

そうやって1本の番組をシームレスに繋いだ上でH.264に変換し、DVDに記録していく。
今年初頭からずーっと撮りためていたHDDレコーダー内の地デジデータを、そうやって丁寧に編集・変換、記録していくのである。

アイトラッキングでフェチ診断

アイトラッキング(Eye Tracking)というシステムを弊社(のグループ会社)が購入しました。僕の年収よりも高いと言うか、高級車買えるじゃん、くらいのお値段だそうで。

これはモニター上を人間の視線がどのように動いているかを計る機械です。
ごっついメガネをかける必要も無く、モニターから60cm程度の距離を保ったままサイトを見ていればOK。モニター上のカメラが、目と顔の動きを追尾します。

本来は、Webサイトをどのように視線が動いていくのかをトレースして、ちゃんとユーザーの導線が確保されているか、サイトのどこにつまづいているのか、などを分析するために使います。ユーザーの使い勝手を可視化し、Webサイトのユーザビリティを向上させるのです。

たしかにサイトのチェックや問題点の洗い出しに使うのですが、圧倒的な破壊力を持つ活用法として個人的に強く推したいのが、フェチ診断。というわけで、被験者A(本人の名誉のため名前は伏せます)が見守るモニターに、ドドーンとグラビア界の黒船、リア・ディゾンが表示されました。

すると、せわしく動く眼球運動、隠せないフェチ心理、見るまい見るまいと意識すればするほど、視線がチラチラと動きます。どこのポイントにどれくらい視線が止まっていたのかバレバレです。視線は言葉よりも雄弁に語りかけます。なるほど、おっぱい星人というよりもおしり星人ですね、あなたは!

隠れた性癖をも白日の下に曝け出してしまうアイトラッキング。おそるべし。

青春時代、ハイドライド1・2・3

10代のほとんどの時期をゲームとともに過ごしていたよーに思いますが、昔からのゲーム事情を振り返って思うのは、「ユーザビリティが向上したなぁ」ってこと。

もちろん、ハードウェアスペックや表現技術も信じられないくらいレベルアップしているんだけど、それ以上に、ゲームの文法が確立されているな、ということをしみじみ思う。現在出回っているゲームを手にとってみてほしい。やったことがないゲームであっても、「何をしたらいいか分からない」なーんて状況にはならないはずだ。とりあえずは、遊べるはず。それだけ、ゲームシステムが洗練され、また、ユーザーの認識下にゲームの遊び方が刷り込まれたのだろう。

むかしのゲームのなかには、ユーザーに優しくないゲームが結構存在したもん。ひどかったもん。
「何が目的なのか、そしてどこへたどり着けばいいのか、その全てをあなた自身で見つけてください」ってマニュアルに書かれてたりしたんだから。え、、あ、、そ、そうなんですか、全て見つけるんですか、が、がんばります、、って、オールドゲーマーは耐えたのですよ。

それでも、玉石混交のゲームの中で、エポックメイキングたるゲームもちゃーんと存在していたわけで、アクションRPGというジャンルを確立したソフトの代表格ってことで、ご紹介するのは、「ハイドライド1・2・3」(T&ESOFT)

今回は、ハイドライドシリーズの歩みとゲーム業界の動きとからめて、お茶の間の皆さんをくすぐっていこうかなと、かように思う次第。しばし、お付き合いのほどを。
ハイドライド1(1984)

「ドラゴンスレイヤー」(日本ファルコム、1983)を皮きりに、続々とアクション風味を取り入れたRPGがリリースされる。「ドルアーガの塔」(ナムコ)がリリースされたのも、この年。だが、RPGと名乗っているものの、ストーリー性は低く、理不尽な謎解きを強いられたり、状況説明もまるで無いようなゲームが多かった。

「ドルアーガの塔」の影響を色濃く受けた(と思われる)「ハイドライド1」でも、一切の会話シーンもなく、そもそも登場人物は主人公だけ、他は全てモンスターといったシチュエーションだった。今だったら、クソゲーの烙印を押されますな。

また、アクション性にしても、肝心の戦闘というのは、フィールド上をウロウロしているモンスターにぶつかっていくというシンプルなもので、そこには、真正面からぶつかれば、大メージを受けてしまうので、背後に攻撃する姑息な主人公の姿があった。
とはいえ、背後からぶつかろうとした刹那、モンスターが急に振り返ったりと、シンプルな割りに案外ドキドキするゲームシステムでもありました。
ハイドライド2(1985)

この頃になると、新機軸を打ち出したRPGゲームが続々とリリースされていく。
ハイドライドとアクションRPGの双璧と称えられた「ザナドゥ」(日本ファルコム)もこの年リリース。

ストーリー性も重視されるようになり、ハイドライド2では、フィールド中に町があり、人と会話することで情報を得たりできるようになった(いや、今では当たり前のことなんだけど)。昔はRPGとAVGの境がパカッと別れていて、人々に話を聞いて物語を進めるという作業は、AVGの領域だったんですよ。

ちなみに、堀井雄二氏は、「RPGは、物語性を重要視し、本来の意味での、ロールプレイ(役割を演じる)ゲームの道を歩むべきだろう。(ログイン1986年11月号)」と語っている。この時点ですでに氏の中では、RPGというものに対する認識が、確立していることが伺える。

また、この時代の続編のウリというのは、面白さ云々よりも、前作よりもボリュームアップしていることを前面に押し出していました。
「マップの大きさは、前作の×倍!」「敵キャラの数は、前作の×倍!」「使える魔法の数が、なんと×種類!」そーいう煽り文句だけで、とてつもなく期待したものです。ゲーム性の本質とずれた部分がクローズアップされていたのですな。
ハイドライド3(1987)

RPGもすっかりゲームの1ジャンルとしてすっかり認知された感がある。ファミコンでもドラクエIIがリリースされ、PCゲームでも、「イース」「ザナドゥ・シナリオ2」などなど、発売された。

変わったところでは、「デジタルデビル物語・女神転生」が発売されたのもこの年。
もちろん、現在の「女神転生」シリーズのルーツとも言うべきソフトなんだけど、ゲームシステムは全く違う。

「ハイドライド3」も、ゲームステムが複雑化し、昼と夜があったり(夜だとモンスターが強い)、空腹度や武器・防具の重量などもパラメーターとしてあった。だけど敵との戦闘が、敵にぶつかっていくだけってプレイスタイルにおいて(魔法とか飛び道具も使えるんだけど)、各種パラメーターを複雑化することの意味がないような気もする。ハイドライドが3作目で、終焉したのは、そーいう整合性をつけられなかったからでは?!と思うのだが。

片や、「イース」はパラメーターも単純明快で、戦闘は敵にぶつかるだけ、とアクションRPGの原点回帰をしつつも、ストーリー性や音楽・グラフィックなどの演出面はハイクオリティな仕上がりとなっている。この方向性が功を奏したのか、イースはこの後も、シリーズ化されていく。